ASKA new albumを聴く。03.「リハーサル」

なんて、カッコイイ。なんて、熱いんだ。

「Be Free」で苦悩を乗り越え、解放に近づいた精神が、

ここで強い意志を持って、力強く1歩踏み出したかのよう。

 

「FUKUOKA」、「Be Free」と続き、

さぁ、ここからは初めて聴く曲だ、とより一層神経を集中して、息を飲んだその瞬間に始まったイントロ。

 

カッカッ、カッコイィ、いい、いい!!

そうテンションが上がってきた頃の、

 

 

「やりたいことをやる、やりたいように」

 

 

うぉーい、強気だ。

 

 

強い信念がないと、決して言えない。

 

そう、そうだ。

こんなASKAを待っていたんだ !!

 

 

 

9月19日 

今日は、歌入れです。 今日、歌う歌は3度目なんです。曲名は、 「リハーサル」 ライブ会場の空気感を思い浮かべながら、リハーサルをしている時の歌です。 アルバムを通して聴くと、この歌は、まだ別の歌い方があるのではないかと思うようになり、再々トライです。

 おはよう。 - aska_burnishstone’s diary

 

「アルバムを通して聴くと」って、

この時には、もうこの曲順は決まっていたということなのか、と改めて思う。

この時一番しっくりくる歌い方を探して、辿り着いた歌を今聴いているんだ。

 

 

私がこのブログを読んだ日に想像した曲調とは、全く違っていた。

歌詞もメロディーも、何もかも。

 

ミュージシャン仲間と音の調節をしたりする、活気のあるはつらつとした場面を思い浮かべてしまっていた。

そんな想像とは、正反対と言ってもいいほど、戦いを挑むように自分と向き合っている雄々しい姿、がこの曲から感じられた。

 

あぁ、そうか。「プロ」とはこういうことなんだ。

 

「ライブ会場の空気感」という言葉だけで、オーディエンスの一人としては、わくわくした高揚感に繋がってしまっていたけど、

創りあげる側、聴かせる側としては、タイムリミットの中で、会場や機材、自身のコンディションを考慮しながら最高のステージに向けて整えていく、最も神経を使う時なのだろう。

 

特にASKAさんのリハーサルでの本気度は知られている。

 

8月5日

僕には、デビュー当時からのスタイルがありまして、リハーサルと本番に区別のない歌を歌います。歌うたいが本気ならば、演奏者も本気になるからです。

 シンフォニックコンサート - aska_burnishstone’s diary

 

この日のASKAさんのブログでは、

最初は不安の残る状態だったアジアツアー1発目のリハーサルで、ASKAさんの本気の姿勢が現地の演奏者に伝わって、本番は情熱に溢れる見事なステージになった、という話が綴られている。

 

8月13日 

アンプラグドのリハーサルは、毎日しつこいくらい行いました。外国人ミュージシャンは、その気迫が伝わったのか、毎日僕たちに付き合ってくれました。

 ニール・コンティ - aska_burnishstone’s diary

 

この日は、緊張感漂うMTVアンプラグドでのリハーサルにまつわる話。こういったASKAさんの真摯な態度が伝わって、いいステージとなり、出会ったミュージシャンとの間にも濃い繋がりが生まれるのだろう。

 

二つのエピソードからは、ASKAさんの人情味溢れる人柄と、プロのミュージシャンとして譲れないこだわりがよく分かる。

 

そしてその熱い魂が、飛び散る汗までが、「リハーサル」を聴きながら伝わってくる。

 

 

人が真剣に仕事に集中している姿は、カッコいい。男の人でも女の人でも、その時は普段とは別のオーラが出ていて、見とれるほど美しい。

 

ASKAさんの集中している姿、情熱がこの曲の歌い方でより伝わり、目に浮かび、ゾクゾクする。

ライブ会場に響きわたるASKAさんの声が聴こえてくるようだ。

 

「 抱えたギターを鳴らしてぇえええええぇええ」のシャウトにどこまでも痺れ、

熱く熱く盛り上がった、どこかから湧いてきた情熱は、

 

アウトロでまたドラマティックに鎮められていく。

 

私の中でこの曲「リハーサル」は、

アルバムのジャケット写真のASKAさんと、イメージが重なる。

 

「ほとばしる魂を信じて」

どこまでも突き進め!

 

 

ASKA new album を聴く。02.「Be free」

胸が締めつけられるような、絶望に泣いたあの感覚が拭えない人も、ファンの中にはまだまだいるのではないだろうか。

 

音楽や香りは記憶を蘇らせる力を持っている。良い思い出ならいいけど、苦しかったこと悲しかったことまでありありと姿を現し、その現象の前で大きく戸惑い、耳を塞いでしまう。

 

9月2日

明日は、ハーモニーです。

みなさんに聴いてもらったデモトラックの上に澤近氏のIQの高いストリングが乗る予定です。

「Be Free」のメインボーカルが終わりました。 - aska_burnishstone’s diary

 

この記事には、そんなファンの悲痛な想いもコメント欄には寄せられていた。

もちろん楽曲が新しい形で発表されることを喜ぶ声もあった。

 

2014年の4月に初めて聴いた時は、デモとはいえ完成度の高い、ASKAさんらしいなと思えるメロディーにすぐに惹きつけられた。

ただ清々しくのびのびとした、壮大なイメージのメロディーに反して、歌詞の方は、ここまで内面をストレートに吐き出したものは初めてなんじゃないか、と思うほど、ASKAさんの苦悩が表れているようだった。

 

 

もうその時には、私の中では、ASKAさんに何かとんでもなく大変な事が起こっている、ということは感じていたから、歌詞はASKAさんの告白を聞いているようで、聴きながらどうにもやるせない思いに包まれたのを覚えている。

 

ファンの中には「ASKAさんが夢に出てきた」という人が結構いるように思うけど、私の夢の中には、ASKAさんはおろか、自分の身近にいない人はほとんど出てこない。

夢なのに、なんだか現実的なのが淋しい…。

霊感みたいなものも、信じている割に体験はゼロ。鈍感なんだろうな、きっと。

ただ一度だけ、2013年 CHAGE and ASKAの復活ライブの延期が決定してすぐ後の、6月か7月くらいに、突然ASKAさんが夢に出てきたことがある。

その当時、寝ても覚めてもASKA、と考えていた訳ではなかったのに、あれは一体どうしたことだったのだろう?

とにかく夢の中のASKAさんは、私の家の近くの (実在しない) ひなびたホテルの廊下に座り込んでいて、すっかり投げやりというか、うなだれた様子で…。

こんな遠くまで来ていたとは、やっぱり今辛いんだね、と夢なのに、何故か真剣にそう思った。

「チャゲアス再始動ライブの延期」を淡々と自身のラジオで伝えるChageさんの声が、あまりにも悲哀に満ちていたのを感じ取っていた後ということもあって、ASKAさんの身に何かとんでもない大変なことが起こっている、ということは、それではっきりした。

もちろん誰に公言するわけでもないし、とんでもない大変なこと、は具体的にはっきりしないにしても、

ただただ心配で、

願わくば、大事になる前に何とか解決できますように、そんな気持ちだった。

 

私の勝手に見た夢と現実 (C&A再始動延期、ASKA活動自粛) と、その後の報道。そして逮捕直前の「Be Free」。

 

「Be Free」の歌詞は、その流れから私にとっては、とても衝撃的な、ASKAさんの心情そのままに思えた。

この時期にこんなことを歌っていいのか、と余計な心配までした。

出だしのフレーズからすでに苦悩は溢れていて、以前夢で見たASKAさんの姿と重なって、絶望的な気持ちになった。

特に、繰り返される

「自由になりなさい 楽になりなさい 誰かにそんな風に 言ってもらいたい」

この部分は、

誰にも分かってもらえない、こんなにも追いつめられているのに。

苦しくて苦しくてしょうがない。

罪を自白するわけにはいかないけど、嘘はつけない。

そういうASKAさんの心の叫びとしか受け取れなかった。

この「Be Free」を最後に、2016年1月に発表されたブログ「700番 第一巻」まで、判決後の公式な文章を除くと、ASKAさんの直接の声というものは届かなかった。これは最後の新曲だった。

 

この永遠に続くかもしれないと思われた闇の中、

ASKAさんの心境を知ろうとこの曲の意味を考え、

胸が張り裂けそうになりながら聴いた日々。

 

そんなことを思い出すと、どうしても「Be free」には重苦しい気持ちと重なってしまう、というのはよく分かる。

 

この時期を思い返さずに、この曲は聴けない。

 

ただ、ASKAさんがあえて、この曲を「FUKUOKA」の後、2曲目に持ってきていることからも、

今は、

「苦しんだ自分も認め、受け止めて、前へ進む」

という、新しく前向きな姿勢をこの曲から感じる。

本当にどこまで強い人なんだ、ASKAさんは。

 

人の過ちは許せても、自分の過ちはなかなか認めることも受け入れることも難しい。

なかったことにしてしまいたいのが、人情だ。

そうでもしないと前を向けないくらい落ち込んでしまうから。

それを、ASKAさんは新たなアレンジを加えてより壮大に、歌詞もほんの少し変え、改めて「Be free」として世に出すことで乗り越える。

 

曲自体からは、大空の下、オーケストラや合唱シーンが映えそうな、堂々とした光のイメージを抱く。

それなのに歌詞の方は、ほんの少し変えたとは言え、どうにもならない心の闇を表したままだ。

 

この両極端なイメージは、

後半「強く強く抱きしめたい そんな人がいる 生まれたての光を 今日という日々で」

という部分の前向きな歌詞で調和がとれていく。

闇から光へ。

そしてこのすぐ後の間奏部分で、「be free,  be free,  be free,  be free  ……」と畳み掛けるように歌われ、一つの場所に行き着く。

デモの方は2回のみだった「be free」のコーラスが、もっと強く主張を持って訴えかけてくる。

そしてこれは私の聴き間違いかもしれないが、繰り返される「be free 」と重なるように「アハハハハハッ」と笑い声が聞こえてくる…、ような気がする。

その声は、苦しんでいたこの頃の自分を笑い飛ばしてる、もしくは例え苦しみは続こうとも乗り越えてみせる、ようやく自由を手に入れられそう、そんな風に想像できて、

一気にメロディーのイメージと一体化し、晴れ晴れとした歌となる。

 

あくまでも勝手な解釈ではあるが、そうするとこの一曲で一つの円が綺麗にできる、そう思えて気持ちよく聴けるのだ。

 

辛い思い出とセットになっていた音楽や香りも、

また新しく上書きするように、共に笑顔を重ねることで、

少しずつ辛かった印象は薄らいでいく。

そうしながら前に進むことで、

以前より強くなれる。

 

そしてそこから初めて、

真の自由が得られるのかもしれない。

 

ASKA new album を聴く。01.「FUKUOKA」

ASKAさんの new album 『Too many people』が届いてからというものの、日毎、全身にエネルギーがみなぎってくるのを感じる。

電流が走ったかのような、衝撃。

こんな感情がまだ自分に残っていたのかというほどの、心の動き。

眠っていた細胞が伸びをしながら起きてきたかのような、心地良さ。

 

 

もしかしてこれはとんでもないアルバムなんじゃないか?と言ったら、笑われるだろうか。

今頃気付いたのか、と。

 

全くミュージシャンASKAには圧倒されっ放しだ。

 

その想いが聴くほどに膨らんできて、感情の波にあっぷあっぷと溺れそうになっているので、

この音楽の前にどんな言葉もいらないことは百も承知で、一曲ずつ思い浮かぶことをとにかく綴っていきたい。

 

前回も書いたように、

ASKAさんがとにかく歌を歌い続けている、

アルバム発売までこぎつけた。

そのことが、まず高い高いハードルのように思えていて、どんなアルバムが出来上がるのか、ということに関してはそう突っ込んで考えていなかった。

 

ミュージシャンASKAにがっかりさせられたことはなく、今回もどんな歌が生まれていても、それなりに今のASKAさんを表しているだろう、とただ楽しみにしていただけだ。

 

アルバムの制作途中で、ASKAさんはASKAさんとして普通にその時に一番と思える作品を創ろうとしている、そう気付いて、もちろんクオリティーも期待できるものだろう、と考え直したものの、

その後の逮捕、勾留、不起訴処分の流れで、もう感情や心の準備はグッチャグチャになってしまっていた。

 

しばらく乗っていなかったのに、いきなり世界初の命綱のみのジェットコースターに乗っているかのような、そんな気分だった。

 

もしかしてアルバム発売は白紙、もしくは長期にわたる延期となるのかもしれない。

そして何より、ASKAさんの心身の状態を案じていた。

 

そして釈放わずか5日後、クリスマスにYouTubeで発表された『FUKUOKA』。

 


 

不起訴処分とはいえ、20日間にも及ぶ勾留、年内の発表は当然無理だろう。

そんな状態からの展開がドラマティック過ぎて、曲が流れると同時に、こらえていたものが溢れ出るのを止めることはできなかった。

 

思い起こせば、

 

9月19日。 

そんななか、ギターで柔らかくつま弾く感じの曲が生まれました。

アルバムには必要な曲のような気もしていますので、何とか歌詞を完成させ、歌入れに突入したいと考えています。

そうなると、並べた楽曲のなかで1曲外さなくてはならない曲がでてきます。

今、揃っている曲はとても気に入っていますが、入れ替えをして12曲入りになるのか、それとも、更に加えて13曲になるのか、非常に難しいところです。

おはよう。 - ASKA_burnishstone’s diary

 

と、アルバム制作中に出来た『FUKUOKA』。

 

ASKAさんがその時自然にギターを爪弾き、自然に生まれたであろうメロディー。

 

それからすぐ、ASKAさんの想いそのままを歌詞に込めた。

 

その歌詞によって、『FUKUOKA』は、ASKAさんの今の心情を表すと同時に普遍的なテーマとも繋がり、待っていたファンだけではない多くの人々の心に響いたように思う。

 

 9月25日

すべての録音が終わりました。

最終楽曲、「FUKUOKA」

今回の楽曲のなかでは、いちばん薄い編成でしたが、アルバムの中では、最も意味を放つ楽曲になったと思います。

様々な障害の中、仲間と故郷、福岡に助けられました。歌は、感情を最大に優先して5回ほどのテイクで録り終えました。

ただいま。 - ASKA_burnishstone’s diary

 

たった4分ちょっとの歌に、映画一本分、長編小説一冊分ほどの物語が表現されている。

その表現の広がりは無限にも感じる。

シンプルでありながら、ここまでの深み、奥行きを出せるのは、天賦の才によるものなのだろうか。

 

 

 10月10日

13曲目にできた「FUKUOKA」は、ピアノとガットギターだけの編成です。 「ギターでつま弾く感じの曲」と、お伝えしたように、澄み渡るサウンドになりました。 歌詞の中で「僕のニューシネマパラダイス」と、いう一節があります。 これは、映画「ニューシネマパラダイス」のことです。この映画は幼い主人公が、やがて青年になり、恋をし、そして中年になり、老人となって行く人生のドラマを描いたものです。 映画も素晴らしいのですが、挿入されたテーマ曲が心に残ります。とにかく美しい。「FUKUOKA」のイントロでは、その「ニューシネマパラダイス」を、意識したメロディを奏でてあります。イントロだけで、チカちゃんは2時間費やしました。アルバムの入り口を見事に果たしてくれるメロディだと思います。

明日から、また始まります。 - ASKA_burnishstone’s diary

 

確かに映画、その挿入歌を意識したのであろう。この1988年に公開されたイタリアの映画は、サントラも大好きで何度も観て聴いてはいるが、意識したとはいえ当然全く別の音楽で、すぐには結びつかなかった。でも底に流れる精神は共通するところがある、そう感じた。

表面的には違った形でも、心の同じ場所、琴線に触れるようで、何十年も前にこの映画を観た時と、今『FUKUOKA』を聴いて感じるものが、重なる部分のあることに驚かされる。

 

淡々と制作過程を伝えてくれている、ASKAさん。たったの2時間であの素晴らしいイントロを仕上げる、澤近さん。この二人の才能の融合は本当の名曲を生んだ。

 

 

10月8日

先日、完成した「FUKUOKA」ですが、どうしてもガットギターを入れたくなり、急遽、移動、そしてスタジオに飛び込みレコーディングをしました。

古ちゃん(古川昌義)が、駆けつけてくれました。これで、完成です。

僕はしつこいのです。 - ASKA_burnishstone’s diary

 

しつこい!?ASKAさんのインスピレーションから、古川さんのガットギターが入った日。

ブログ開始後初めて、斜め後ろからのASKAさんと古川さんのモノクロ写真がUPされた。

この写真と同じものが古川さんの facebookにも「やっと会えました。 ^_^    嬉しです。」の言葉と共に載っていて、

その後の、一木さん、古川さんのライブへの飛び入り参加の経緯からも、

仲間の温かさ、有り難さを感じ、焦げるほどに胸が熱くなった。

 

彼らの気持ちは、透き通る純粋さの中で繋がっている。

 

 

9月24日

歌詞に、

いまは昔 昔はいま 誰でもない自分さ

生きるように生きてきた めくれば文字が現れるように

こんにちは さようなら おはよう おやすみなさい

繰り返しながら僕はここに居る

sweet and good memories

ニューシネマパラダイス

と、いう一節があります。

気に入ってます。

http://aska-burnishstone.hatenablog.com/entry/2016/09/24/101015:title 

これを読んだときは、正直この歌詞の意味を深く考えていなかった。映画『ニューシネマパラダイス』とASKAさんの歌がどう混ざり合うのだろう、早く全体を通して聴きたいな、というくらいで。

そして、今。

涙腺の強い私が、聴く度にこみ上げてくるものを必死にこらえるのは、まさにここ。

この部分だけは、平常心を保っていられない。

 

古川さんはいつもアーティストがどう表現したいのか、と歌の心を掴んで、歌の世界が最も伝わるようにと演奏する素晴らしいギタリスト。ASKAさんと一緒に音を創れることを心から喜んでいる彼のギターは優しく、本当に優しく、澤近さんのピアノと重なり、そして、ASKAさんの歌声がそこに加わる。

人の一生が表現されたこの歌、特にこの部分に象徴される円(縁)には、喉の奥がきゅうぅっとなってしまう。

転んでたった一人で立ち上がろうとしている時に、何も言わず寄り添ってくれたり、手を差し伸べてくれたり、そんな人たちの顔が思い浮かぶ。

最後の言葉は本当に自然な、心からの

「ありがとう」がふさわしい。

 

 

アルバムを通して聴いて13曲目の『しゃぼん』が終わり、エンドレス再生でまた1曲目の『FUKUOKA』が始まる時、

"アルバムは一つの円”というASKAさんの表現が実にしっくりくるほど、始まりと終わりが自然と繋がって一つになるのを感じる。

 

 

『FUKUOKA』は、

生きるということ、

過去、現在、未来への想い、

その中で出会う人々の温もり、優しさが詰まった、

ずっと先まで寄り添ってくれる、

誰が創ったのか、歌っているのかさえ分からなくなるまで生き続けるであろう、

 

そんな歌だと思う。

 

 
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YouTube 『FUKUOKA』より

ASKA『Too many people』を聴く。

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生きていてくれれば、

元気でいてくれれば、

歌を歌いたいという気持ちさえ持っていてくれれば

音を紡いでいてさえくれれば、

 

それだけで十分だと思っていた。

 

 

レコード会社も決まっていない、全く白紙の状態から、

スタジオ他、細かい制作条件にも限りがあっただろう。

ASKAさんの心境にしても、

やや不安定な時期に創りためたものだろう。

それはそれで今のASKAさんなのだ。

 

そういった環境で、どんな音が生まれるのか。

 

今のASKAさんの音楽が聴ける喜び。

 

それだけでも凄いこと。

 

ところが、ブログで制作状況を伝えてくれるASKAさんの文章を読んでいくに従って、

私の考えは全く甘過ぎる、失礼なものなんだということに気付いた。

 

ASKAさんはミュージシャンとして、プロとして、当たり前のことと、最上級の音楽を創ろうとしている。

 

どんなに厳しい条件の中でも、音楽に対する妥協はない。

 

それを強く感じた。

 

当たり前に歌う人として、

当たり前に音楽を創っているだけ。

 

そこに条件は関係ない。

 

発売日、曲名、を知った時は、報告の文字を眺めるだけで鼓動が早くなり、

ついにその日を迎えた時は、胸の中に熱いものが広がった。

そして、

生まれたてのアルバムを手にした時は、ありとあらゆる方向から眺め、抱きしめ、何度も何度も愛でた。

 

新しく生まれ、最初は小さくか弱そうにも思えたASKAさんの『Too many people』。

 

一曲目の「FUKUOKA」から、驚くべき生命力を放って、ぐんぐん成長していった。

 

一曲一曲に衝撃を受けた。

 

ASKAさんの告白の欠片に鳥肌が立ちっぱなしだ。

 

 

嵐のような夜を過ごした後、

青空の朝、手にした『Too many people』

 

冬の寒さの中に射す暖かな光のもと、青空を仰ぎながら聴いた。

 

『700番 第二巻/第三巻』で、欠けていたピースがはまっていくように鮮やかになった、その画が、

今度はよりディティールがはっきりと、躍動感に溢れたものになった。

 

音が、歌が、ASKAが活きている。

 

新しい生まれたての命のように。

 

その一つの大きな命を直接感じて、心と身体のゾクゾクが止まらない。

 

確かにASKAさん、でも新しいASKAさん。

 

一曲一曲に強い生命力を感じた。

 

幸せって、自分の中に確かな生命の証を感じることのできた時、

 

13曲通して聴いて、そうつくづく思った。

 

ASKAさんは今幸せだ。

 

 

そして、私も今幸せを感じている。

 

 

ようやっと!! ASKA『Too many people』


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生まれたばかりの赤ちゃんを抱きかかえるように、

そうっとそうっと、

大切に大切に。

 

ずいぶん長い間、

愛情たっぷりに抱いたまま、

身動きもとれなかった。

 

今日2月24日は、ASKAさんの誕生日。

 

 

様々な事情によって発売日より遅れることとなったけど、

 

ようやっと、

ようやっと、

待ちに待った、

ASKAさんの新しいアルバム

『Too many people』

を聴くことが出来た。

 

 

発売日からこの時まで、

天気予報に反して上空は悪天候。

 

どんよりとした曇り空から、

雨粒が時折落ちるようになり、

次第に雨は強風と混ざって、

まるで嵐のようだった。

 

発売の喜びでいっぱいの心とは、

思いっきり真逆の荒れ具合。

 

そしてやっと聴くことのできるという時見上げた空は、

 

 

生まれ変わったように青かった。


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まるで

ASKAさんの状況、自分の気持ちともリンクしているように…。

 

新しいASKAさんを、

こうしてたくさんの人とたくさんの愛で祝うことができる。

 

 

なんて幸せなんだろう。

 

 

 

ひとまず深呼吸を。

呼吸困難に陥りそう。

 

待って、待って、

 

望んで、望んで、



 

待望の ASKA new album

『Too many people』

                        2017/2/22 on sale !!

 

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1. FUKUOKA  2. Be Free   3. リハーサル

4. 東京  5. X1  6. それでいいんだ今は

7. Too many people  8. と、いう話さ

9. 元気か自分  10. 通り雨  

11. 信じることが楽さ  12. 未来の勲章  

13. しゃぼん

 

 

ここのところ、

ASKAさんのTV生出演、

『700番 第二巻/第三巻』発売と、

 

短い期間にドドドドドッ 

と、内容の濃いことがあり、

感情も大忙し!!

 

そして、

 

ついに、一番待ち望んだ(何度も繰り返す)、

ミュージシャンASKA が !!!

 

息苦しくもなる、目眩もする、

手に汗がにじむ、

気付いたらスキップしている、

 

でもこのやや寝不足、超ハイテンションな状況も、

全て愛おしい。

 

 

ようこそ~

 

よくおいでくださいました…、と

 

CD『Too many people』をしかと抱きかかえる。

 

それだけを、今日は綴りたくて···。

 

 

 

 

アルバム入手エピソード、

店頭での様子など、

曲、音楽に関する感想以外(ネタバレ防止)の皆さんからの感想も、

 

お待ちしております。

 

 

 

う  れ  し ~  い  っ ね !

ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』を読んで。

( 引用部分はすべてASKAさんのブログaska_burnishstone’s diary からです。)


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 ASKAさんは、やるべきことをやりきった。

 

 

すべて読んだ後、そういった安堵感が心に広がっていくのを感じた。

 

1月18日

内容は、シリアスですが、シリアスにならず「そんなことが起こっていたのか」と、いうくらいの気持ちで読んでみてください。

全てを、納得して頂けるはずです。

 今、確認をいたしました。 - aska_burnishstone’s diary

 

 

シリアスにならずに読めるはずもない、ASKAさんの深い苦悩の道。

 

それでも読み進めながら、

2016年1月の突然のブログ発表からの入院が、

今も続いているASKAさんのブログに綴られていたことが、

私たちが目の当たりにしたASKAさんを取り上げる報道が、

テレビ西日本「ももち浜ストア」でのASKAさんが、

 

ドキュメンタリーとなって次々と思い起こされて、

新たな驚きというより、

あぁ、あの時はこういう状況だったんだ、

と事実に対する追加情報を与えられ、

手をこまねいて案じるだけだった心に、

きちんと収まるスペースを与えられた感覚だった。

 

私も同じ時代を生きていて、

リアルタイムで注視してきたことだったから、

まるでパズルのピースが一つ一つはまっていくように風景が、鮮やかになっていく。

 

そして、全てはまりきってはいないものの、今出来上がったパズルは、

欠けたピースばかりだった以前のパズルと、

受けとる印象はほぼ同じものだった。

 

色合いやタッチ、ぼんやりと想像していた風景は、

統一感のあるものとして心に届いた。

 

自身に起きたことに関して書く上で、 

誰のプライドも傷つけないように、

 

そう細心の注意を払ったというASKAさん。

 

1月2日

誰にもプライドがあります。

その誰かのプライドを傷つけるための本ではありません。

疑いを晴らすための本ではありません。

あったことを、あったままに伝える本です。

そのとおりですね。 - aska_burnishstone’s diary

 

それには無理がある、

とはずっと思い続けていたことだったが、

 

人と人とのつながりをとても大切に思っている、その姿勢を一貫して感じるにあたって、

 

起きた事柄とどう折り合いをつけていくのかは、

 

自分の心のあり方次第なんだ、

とまた気付かされた。

 

そして、そうやって人との縁を大切にしているASKAさんには、次々と繋がっていく人の輪。

 

留置所、ダルク、入院先、出歩く先々で偶然にもASKAさんを応援する人達に出会えたことは、

 

縁を大事にしていると生まれる必然でもあるように思う。

 

そして、細やかな描写から想像される、

絶望的な状況にあっても、

それらの出会いは、

ASKAさんの気力を支え、

進むべき方向を見失わないようにさせる役割も果たした。

 

 

ある時から、ASKAさんの影に苦悩が見え隠れし、

そこから抱き始めた疑問、不安。

 

世の中に対するやり場のない憤りや絶望感、

 

同じ時代を生きる者として、

やるせなさばかりが募っていた。

 

 

それでも希望はあった。

 

人の心は果てしなく強くあれるのだ、という。

 

彼の紡ぐ言葉は、確かに彼の中から湧き出てきているもので、

全編を通して、そこかしこでASKAさんの世界観を感じることができた。

ASKAさんの軸はぶれていない。

 

そしてその世界観は、

ASKAさんの歌に繋がっている。

 

 

 

 

 ※ 追記

今回は『700番 第二巻/第三巻』を読み終えた後の全体の印象、感情に重点をおいた感想となっている。

本の中の細かい記述に関して、考えたこと、感じたことなどは、また次の機会 (アルバム発売後) にUPしようと思う。

 

また世間的には、第三巻に書かれている、お茶から何故陽性反応が出たのか、というところばかりがクローズアップされているきらいがある。

ただ、この経緯には、ASKAさんの他に、警察、検察、科学捜査研究所といった、所謂権威機関が深く関係している。

昨年の逮捕によってASKAさんが勾留されている間、警察発表が微々たるものだったことは、覚えている人も多いだろう。

そして不起訴処分後も、「お茶を提出した」こと以外の具体的な情報は、何ら発せられることはなかった。

何故その情報だけは発表されたのか、その意味を考えると同時に、ASKAさんにこれ以上の説明は求められない、という理解が必要だと思う。前回書いたように、この事実に関しては、複数の主人公が考えられるからだ。

何より検察が「不起訴処分」を下した、この大きな事実を最重要視するべきだろう。

 

そしてASKAさんが第三巻で最も伝えたいことは、

 

12月29日

僕の取った行動は、誤解を生んでしまいましたが、

そうしたのには理由がありました。

今、改めて思っています。

あの行動に間違いはなかったと。

 迷いはありません。 - aska_burnishstone’s diary

 

1月2日

焦点は、

「なぜ、僕が尿ではなくお茶にすり替えたのか」

 歌は伝えること、文章は理解させることが必要。 - aska_burnishstone’s diary

 

ということで、

なぜお茶が陽性反応となったのか、ではない。

そしてそのことはASKAさんが語らなければ、本来明かされるものではなかった。

 

ASKAさんの潔白は、彼の言動から、もう十分過ぎるほど証明されている。

 

人にレッテルを貼るということは、どんな場合でも避けるよう心がける必要があるけど、特にそれが、背負うにはあまりにも重いレッテルの場合は、貼る方にこそ深い罪があるのではないか。

 

先入観や偏見を持つことの怖さを改めて考えさせられる。

 

それが世の中に対するこの本の、

一番の役割であるように思う。