ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』を読んで。
( 引用部分はすべてASKAさんのブログaska_burnishstone’s diary からです。)
ASKAさんは、やるべきことをやりきった。
すべて読んだ後、そういった安堵感が心に広がっていくのを感じた。
1月18日
内容は、シリアスですが、シリアスにならず「そんなことが起こっていたのか」と、いうくらいの気持ちで読んでみてください。
全てを、納得して頂けるはずです。
今、確認をいたしました。 - aska_burnishstone’s diary
シリアスにならずに読めるはずもない、ASKAさんの深い苦悩の道。
それでも読み進めながら、
2016年1月の突然のブログ発表からの入院が、
今も続いているASKAさんのブログに綴られていたことが、
私たちが目の当たりにしたASKAさんを取り上げる報道が、
テレビ西日本「ももち浜ストア」でのASKAさんが、
ドキュメンタリーとなって次々と思い起こされて、
新たな驚きというより、
あぁ、あの時はこういう状況だったんだ、
と事実に対する追加情報を与えられ、
手をこまねいて案じるだけだった心に、
きちんと収まるスペースを与えられた感覚だった。
私も同じ時代を生きていて、
リアルタイムで注視してきたことだったから、
まるでパズルのピースが一つ一つはまっていくように風景が、鮮やかになっていく。
そして、全てはまりきってはいないものの、今出来上がったパズルは、
欠けたピースばかりだった以前のパズルと、
受けとる印象はほぼ同じものだった。
色合いやタッチ、ぼんやりと想像していた風景は、
統一感のあるものとして心に届いた。
自身に起きたことに関して書く上で、
誰のプライドも傷つけないように、
そう細心の注意を払ったというASKAさん。
1月2日
誰にもプライドがあります。
その誰かのプライドを傷つけるための本ではありません。
疑いを晴らすための本ではありません。
あったことを、あったままに伝える本です。
そのとおりですね。 - aska_burnishstone’s diary
それには無理がある、
とはずっと思い続けていたことだったが、
人と人とのつながりをとても大切に思っている、その姿勢を一貫して感じるにあたって、
起きた事柄とどう折り合いをつけていくのかは、
自分の心のあり方次第なんだ、
とまた気付かされた。
そして、そうやって人との縁を大切にしているASKAさんには、次々と繋がっていく人の輪。
留置所、ダルク、入院先、出歩く先々で偶然にもASKAさんを応援する人達に出会えたことは、
縁を大事にしていると生まれる必然でもあるように思う。
そして、細やかな描写から想像される、
絶望的な状況にあっても、
それらの出会いは、
ASKAさんの気力を支え、
進むべき方向を見失わないようにさせる役割も果たした。
ある時から、ASKAさんの影に苦悩が見え隠れし、
そこから抱き始めた疑問、不安。
世の中に対するやり場のない憤りや絶望感、
同じ時代を生きる者として、
やるせなさばかりが募っていた。
それでも希望はあった。
人の心は果てしなく強くあれるのだ、という。
彼の紡ぐ言葉は、確かに彼の中から湧き出てきているもので、
全編を通して、そこかしこでASKAさんの世界観を感じることができた。
ASKAさんの軸はぶれていない。
そしてその世界観は、
ASKAさんの歌に繋がっている。
※ 追記
今回は『700番 第二巻/第三巻』を読み終えた後の全体の印象、感情に重点をおいた感想となっている。
本の中の細かい記述に関して、考えたこと、感じたことなどは、また次の機会 (アルバム発売後) にUPしようと思う。
また世間的には、第三巻に書かれている、お茶から何故陽性反応が出たのか、というところばかりがクローズアップされているきらいがある。
ただ、この経緯には、ASKAさんの他に、警察、検察、科学捜査研究所といった、所謂権威機関が深く関係している。
昨年の逮捕によってASKAさんが勾留されている間、警察発表が微々たるものだったことは、覚えている人も多いだろう。
そして不起訴処分後も、「お茶を提出した」こと以外の具体的な情報は、何ら発せられることはなかった。
何故その情報だけは発表されたのか、その意味を考えると同時に、ASKAさんにこれ以上の説明は求められない、という理解が必要だと思う。前回書いたように、この事実に関しては、複数の主人公が考えられるからだ。
何より検察が「不起訴処分」を下した、この大きな事実を最重要視するべきだろう。
そしてASKAさんが第三巻で最も伝えたいことは、
12月29日
僕の取った行動は、誤解を生んでしまいましたが、
そうしたのには理由がありました。
今、改めて思っています。
あの行動に間違いはなかったと。
迷いはありません。 - aska_burnishstone’s diary
1月2日
焦点は、
「なぜ、僕が尿ではなくお茶にすり替えたのか」
歌は伝えること、文章は理解させることが必要。 - aska_burnishstone’s diary
ということで、
なぜお茶が陽性反応となったのか、ではない。
そしてそのことはASKAさんが語らなければ、本来明かされるものではなかった。
ASKAさんの潔白は、彼の言動から、もう十分過ぎるほど証明されている。
人にレッテルを貼るということは、どんな場合でも避けるよう心がける必要があるけど、特にそれが、背負うにはあまりにも重いレッテルの場合は、貼る方にこそ深い罪があるのではないか。
先入観や偏見を持つことの怖さを改めて考えさせられる。
それが世の中に対するこの本の、
一番の役割であるように思う。