ASKAさん、そわそわしますね。

2月に入ってから、時間の経つのが早いような、遅いような、不思議な感覚に落ち着かない。

 

2月17日の『700番 第二巻 第三巻』、

22日の『Too many people』発売。

福岡のテレビ番組での「FUKUOKA」の披露。

 

これまでのASKAさんの一歩、一歩が、ついに形となり、世に放たれる日が迫ってきている。

 

これらのことは、どういった変化をASKAさんにもたらすのだろう。

 

そして、私は一体その時どういった想いを抱くのだろう。

 

新曲ばかりの『Too many people』

一刻も早く聴きたいけど、一番最初は、誰にも何にも邪魔されず、13曲通して完全に浸りたい。

 

どうやって聴こうか、

 

あれこれシミュレーションしては、気持ちの高まりの行き場を見つけようとしている。

 

 

ASKAさんにとっても、

 

共に想いを分かちあってきた皆にとっても、

 

希望がいっぱい詰まった

 

特別な一枚。

 

 

プレス工場、配送トラック、扱う店舗…、

一つ一つに、

 

関わる一人一人に、

 

どうぞよろしくお願いいたします、

 

ありがとうございます、

 

と心から伝えたい。

 

 

たくさんの感謝の気持ちを、

たくさんの人々と共有できている日々に、

 

また感謝。

 

 

 

ASKAさんと坂上忍さん。

ASKAさんの人を信じる力にはまったく驚かされる。

 

2月1日放送の、フジテレビ系「バイキング」を観て思ったことだ。

 

坂上忍さんによると、1月31日の会食はASKAさんからの要望で実現した。

但し、坂上さんは事前に、

プライベートで会ってしまうとオフレコにしなければならないけど、

番組でASKAさんの話題を扱う時に、知っているものを知らないフリをすることはできないので、

バイキングのプロデューサーも交えて、番組でも出来る範囲でASKAさんとした話の内容を伝えたい、

とASKAさんにお願いしたようだった。

 

この経緯には、ASKAさんと坂上忍さん、それぞれのストレートな性格がよく現れている。

 

坂上さんは、ASKAさんに誘われたからといって、スクープだ!と喜び勇んで出かけるのではなく、自分の今の立場、性格をしっかり分かっていて、前もって条件を明示し了解を取り付けた。

とても誠実な姿勢だ。

 

実際、二人の約束は守られるだろう。

 

 

較べるまでもないが、

 

取材ではないという場で隠し録音をし、その会話や未発表音源を自社web会員に有料で公開した、週刊文春と中村竜太郎氏や、

テレビで公開することをASKAさんには告げずに、井上公造氏の携帯電話からかけた(ASKAさんにとってはプライベートな)電話の会話を録音し放送した「ミヤネ屋」とは、

 

確実に違う。

 

そして口約束を破られるのみならず、

今まで散々、著作権侵害や人権侵害を受けながらも、

まだ人に対する信頼感を持ち続けられる、

「好きなものを好きと言うのは好きだな」

と言い続けられる、

ASKAさんの心の真っ直ぐさに感服する。

 

 

ASKAさんは、

坂上さんの歯に衣を着せぬ発言が、深い愛情に基づいたもので、

人の気持ちを素早く感知して言葉を選んでいる、

とブログ内で言及していた。

 

鋭い洞察力のASKAさんの言葉に、坂上さんも困惑気味だったのではないだろうか。

 

 

私が持っている坂上さんのイメージは、

 

・真っ直ぐ直球

・激情型

・頭がいい

・その時の自分の気持ちに正直

 

といったもので、

欠点は多々あるものの、魅力的な人だと思っている。

 

ただ、坂上さんの少年、青年時代は壮絶なものだ。

子役として、3才の頃から芸能界にいて、普通の子ども時代を送っていないどころか、学校ではいじめられ、家庭では父親の母親へのDVに耐え、そして借金まで…。

父親の借金を返すために子役の仕事をやめられず、中学生の時には一億円以上の借金を残して父親が蒸発してしまう。ひたすら働くことで25歳の時にようやく全て返済したという。

少年には重すぎる荷を背負わされ、それでも戦い続けた精神力。

多少パワハラ、セクハラ的な無謀な言動があっても多くの人々から受け入れられているのは、やはり全てを自分で背負っていく、という潔さが彼の根底にあるからなのかもしれない。

 

 

ASKAさんは、実際会ってみてどういう印象を持ったのだろうか。

最新2月2日のブログでは「バイキングの坂上君は、イイ男だったな。」と一言。

ASKAさんにとって、期待していた以上の嬉しい出会いだったことには間違いなさそうだ。

 

 

 

とにかく、

この日をキッカケに、直接は出演していないにせよ、「バイキング」とは密度の濃い関係が出来たはずだ。

これまでも「バイキング」はASKAさんを度々取り上げてきているが、これからはもっと事実に即した放送内容となるだろう。

 

MCの坂上忍さんがASKAさんに直接会ったことで、「バイキング」がASKAさんの情報、人柄を正しく発信していく番組になっていくことを期待している。

坂上さんなら、ASKAさんの言動に納得のいかない時は、そのまま発言するだろうし、公正さも保たれそうだ。

 

 

 

それでもまだまだ、ASKAさんを偏見の目で見る人、誤解している人はたくさんいるだろう。

 

でも、

 

「信じることが楽さ」

 

と歌うASKAさんを、

 

理解したい人は、

 

確実に増えてきている。

 

 

 

 

 

ASKAさん、TV出演決定!!

兄、妹とじゃれあって遊んでいた時に、テレビから流れてきた「モーニングムーン」。

まだ中学生だった私も兄も、その瞬間、遊びを忘れてテレビ画面に釘付けになった。

曲の途中、「何これ…すご」と呟いたきり、二人で言葉を失ったことを思い出す。

一球入魂の精神で歌っていたというチャゲ & 飛鳥の歌は、ふざけていた小中学生さえも一気に惹き込む力があった。

二人の熱い魂は確かに届いた。

 

当時はテレビで観るぐらいでしか、新しい音楽に出会えなかったけど、今は小学生だって、YouTube から情報を仕入れている時代だ。

もうテレビには、知らなかった音楽を発見したり、初めて観る歌手のパフォーマンスに度胆を抜かれるといった側面は、ほとんどないのではないかと思う。

 

そんな時代の今、地方局において

フルサイズで「FUKUOKA」を披露する

というASKAさんからの報告。

前回のブログ内容から察するに、その地方というのはやはり福岡なのだろう。

そして

「信念と活動スタイルを試され、問われ、突きつけられた」

とあったのは、歌をフルサイズで歌わせてもらうのと引き換えに、インタビューを受けるかどうかということにあったのかな、と想像する。

 

「楽曲への興味ではない」オファーによる、テレビ出演は一切受けなくてもいいのではないか。

楽曲の価値が下がるような演出を受け入れてまで、今ASKAさんがテレビに出る意味があるとは思えない。

テレビに対する不信感から、音楽番組以外の番組で、ASKAさんに寄り添った内容になるものがあるとは到底考えられずにいた。

 

ただ、そんな番組ばかりではなく、全てを受け入れ、理解して下さったとASKAさんが思えた番組があったのなら、何と有り難いことだろうと素直に喜びたい。

それが、親のように温かい福岡の気持ちに心から答える、ということにつながるのであれば、言い尽くせないほどの感謝しかない。

 

ASKAさんの楽曲は、CD音源よりもライブ音源の方が、ASKAさんの熱が伝わってきてより心を揺さぶられる。

だから、今「FUKUOKA」をどう表現するのか、とても聴きたくて堪らない。

インタビューも、「FUKUOKA」や音楽に関しての話なら聞きたい。

だけど、それ以外のことをテレビで話すことは、これまでの間違ったテレビの報道を許してしまうような、認めてしまうような印象になる気がして、不安に思う。

一回のインタビューで語れるような簡単な経緯ではないからこそ、本という形になったのだと思うし、それが音楽じゃないASKAさんの「フルサイズ」の表現なのだと受け止めている。

そこを理解したい人だけが本を読めばいいわけで、読まずに音楽を聴くだけでも伝わるものはある、と思う。

 

突っ込んで話を聞きたいのであれば、そちらの「フルサイズ」も尊重するべきであると思うし、ただその内容はテレビでは到底扱えない問題ばかりなのだから、音楽のみに、その取り組む姿勢だけに、焦点をあてればもう十分なのだ。

 

楽曲への興味ではなく、独占インタビューをしたいというテレビ局の意向を知りながらも、丁寧に交渉に応じ、出演を決めたASKAさん。

テレビ出演だけに留まらず、これから先の活動、ライブや、新たなアルバム制作諸々を視野に入れた上で、一つ一つ慎重に決めていることなのだと思う。

 

選ばれたテレビ番組を観られないのは残念だが、まず今後の活動のための大切な一歩となることには違いないだろう。

ASKAさんの歌声は、今のテレビではなかなか聴くことのできない、聴き流すことのできない魂の宿ったものだから、一部地域だけの放送でも、確実に人々の心に届くものがあるはずだ。

 

 

信念を貫くためには、時と場合に応じて活動スタイルを変えた方がいい場合もある。

それはブレているということではなく、一番大切なものを守るため、またそれが伝わるためでもある。

 

 

ASKAさんの情熱が、

様々な形をとって、

人々の心に届き、

人々の情熱と交わることで、

生まれるものがある。

 

それが光の拍手となって、

いつかASKAさんに届くといい、

 

そう願っている。

 

 

 

ASKAさんの逮捕報道、BPOの見解に疑問。※追記あり。2017/9/29

BPO (放送倫理·番組向上機構) は、1月13日に開かれた放送倫理検証委員会の議事において、ASKAさんのタクシー映像使用については審議の対象にしないことを決定した。

 

以下、1月23日に公開された議事概要の抜粋。

 

ASKA氏逮捕報道でのタクシー車載映像使用などについて討議

 

 昨年11月末のASKA氏逮捕報道に関連して、在京民放局が逮捕直前にASKA氏が乗車したタクシーの車載映像を使用したことなどについて、BPOにも「過剰報道ではないか」「プライバシー侵害だ」などの視聴者意見が多数寄せられた。

これを受けて、当該各局から、映像使用の実績、取材の経緯、放送の際の判断理由などについて、報告書が提出された。タクシー車載映像を使用したのは、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、フジテレビの4局で、各局とも放送にあたっての判断理由としては、「相当程度公的な存在といえるASKA氏の逮捕直前の様子や言動を伝えることは重要で、公益性・公共性が高いと判断した」などとしている。

この他、逮捕前のASKA氏に情報番組のキャスターらが直接電話をかけて、逮捕報道への反応などをインタビューした音声が読売テレビと日本テレビで放送された件については、当該2局は、「本人が容疑を否定する重要な証言と判断して放送した」としている。また、読売テレビの11月28日放送の『ミヤネ屋』では、「ASKA氏逮捕へ」のニュースを伝える中で、芸能レポーターがASKA氏から提供されていた未公開曲の音声を約1分間放送したが、これについて当該局は、「著作権の問題はあるものの、ASKA氏の音楽活動の紹介として報道的にも意味があると判断した」としている。

委員会では、さまざまな観点からの意見交換がおこなわれ、テレビ局に対して厳しい意見も出された。しかし最終的には、問題点はあるものの、各局の報道内容について公益性も否定できない以上、一概に放送倫理違反を問うことは難しいし、ASKA氏が既に釈放されていて、本人のブログ上で「法的手段を進めている」と公表していることなどを勘案して、主な意見を記載して注意喚起をすることで、この事案の討議は終了することになった。

 

【委員の主な意見】

▪ 単純に考えれば、プライバシー侵害や通信の秘密への配慮不足などが問題になると思うが、個人の権利の問題はこの委員会の本来の対象ではないと思うので難しい。

▪ いくら公益性・公共性といわれても、実際の番組を見てみると、面白いものが手に入ったから放送している印象がぬぐえなかった。

▪ タクシー車内の映像だが、あの程度の内容で公益性・公共性があるという主張には違和感を持った。ただ、今回はこの問題で大きな議論が起きたことを放送局に理解してもらうことでいいと思う。

▪ たまたま手に入った車載映像を各局がそろって使用し、タクシー会社からやめてくれと言われるとすぐやめるということに、一言で言えば「安易だ」と感じた。

▪ タクシー車内というプライベートな空間の映像の使用について若干疑問は残るが、報道の公共性との兼ね合いからいうと放送倫理違反とまではいえないのではないか。

▪ 集中豪雨的な報道はどうかとも思ったが、タクシー車載映像や電話インタビューの使用の是非を論じると、警察発表以外の独自取材を制限してしまうことにもつながりかねない。ASKA氏が法的手段を取ると表明しているのなら、それを見守るほうが良いのではないか。

 

抜粋以上。

 

要するに、放送倫理の問題というより、個人の人権に関する問題で、本人が法的手段をとることを表明しているので、そこに委ねるということなのか。

またしても、第三者機構とは思えない見解に、疑問しか残らない。

 

「公益性も否定できない報道内容で、一概に放送倫理違反を問うことは難しい。」

ASKAさんの自宅前に群がる報道陣、タクシー車内映像、未発表音源無断公開…、

呆れるを通り越した、これら数々の異常な報道を観た時と同じような気味の悪さを、BPOの見解にも感じる。

どこに公益性があったのか、それは委員の意見でも疑問視されているではないか。

 

報道に関してよく使われる、

「公共性」「公益性」

この簡単な言葉の意味が、どうも都合よく使われているような気がしてならない。

 

 ちなみに辞書では、

【公共性】

広く社会一般に利害·影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること。(大辞林 第三版)

【公益】

社会一般の利益。公共の利益。(大辞林 第三版)

公共の利益を縮約した言葉。ある社会を構成する個人や集団の私的利益に対して、その社会の全構成員にかかわる共通の利益を指す。現実社会において頻繁に使用される概念であるが、その具体的内容は必ずしも明確ではない。たとえば、政府はその政策を正当化する基準として、公益を多用するが、それが具体的に何であるかについては、単にその自明性を強調するにとどまることが多い。またある人々は、あらゆる私益から独立した客観的な公益の存在を主張するが、それを経験的に確認することは不可能であり、結局各個人の主観的価値が公益の具体的内容に投影されることは避け難い。(世界史大百科事典 第二版)

 

とある。

「公益」について世界史大百科事典の解説するように、極めてあいまいな公益の存在によって、自分たちの行為を正当化しているように思える。

ASKAさんという有名アーティストを、差別的な態度で報道することが、社会の利益になるとは到底思えない。

 

そもそもBPOは何を目的として存在するのか。

 

BPO規約第1章、第3条「目的」において、

「本機構は、放送事業の公共性と社会的影響の重大性に鑑み、言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から、迅速·的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的とする」と掲げている。

 

このことから、BPOは今回の報道内容について、視聴者の基本的人権には問題なかった、と捉えているということになる。

しかし、盗聴盗撮を覚せい剤使用による妄想、と決めつけたり、犯罪ではあるものの病気の一面もある覚せい剤依存症を揶揄した放送内容は、それぞれの問題に苦しむ人々を著しく貶めているのではないだろうか。

偏った報道を見せられることで、個人の思想が操られ、差別意識を持つことにつながらないだろうか。

そういった疑問を持つ。

 

放送倫理検証委員会では、「放送倫理上問題がある」と指摘された番組は「審議」、「内容の一部に虚偽がある」と指摘された番組は「審理」するとしており、ASKAさんの報道内容は「討議」の段階で審議の対象とはならない、という結論となったことからも、視聴者からの指摘すら、重く受け止めていないように思う。

BPOには放送人権委員会もあり、「放送によって名誉、プライバシーなどの人権侵害を受けた」という申し立てを受けて審理し、「人権侵害があったかどうか」「放送倫理上の問題があったかどうか」を判断するもので、委員の意見であった「個人の権利の問題」とするのであれば、こちらで審理されるべきだろう。

ただ申し立ては当事者とその家族のみ認められているので、ASKAさんが行わないかぎり審理はされない。

 

 さらに、

 委員の主な意見として出された、

「たまたま手に入った車載映像」というのは、

フジテレビがASKAさんの乗ったタクシーを突き止め、9時間以上独占使用し手に入れた、その経緯を知った上での表現なのか、

「集中豪雨的な報道」

「警察発表以外の独自取材を制限してしまう」とは、

警察発表の「陽性反応」のみで、被疑者が「否認」しているのにも関わらず、覚せい剤を使用している、妄想や後遺症があると決めつけた一方的で、確実に人権を侵害している報道内容のことなのか、

問題にするべき点が、視聴者側の感覚とズレているような気がする。

 

視聴者にとって、何より違和感を感じたのは、

▪ 警察が逮捕状請求段階で報道機関へ情報を流し、逮捕まで6時間以上報道を過熱させ、結果大々的な逮捕報道につながったこと。

▪ 警察の発表を真実、正義と疑わず、ASKAさんの人権を無視した、先入観ありきの報道内容だったこと。

▪ 報道方法が、ASKAさんの自宅ガレージ内侵入、車などの物損も含め、暴力的ともいえる異様なものであったこと。

▪ 本人の無実主張よりも、重度の覚せい剤依存者ということ前提の放送内容であったこと。

▪ 不起訴後も、取材姿勢や報道内容の反省や訂正が、ほとんどなされていないこと。

 

などではないだろうか。

 

これらの違和感は、恐怖を覚えるほど強いものであったにも関わらず、そこには多くの注意を払われていないように思われる。

実際の放送を観ていないのだろう、と疑念を抱くほどである。

 

この討議内容からは、まだ何らかの先入観が委員会の中にあるようにも思え、本当の倫理は未だに問われてはいない、という思いに至った。

 

【倫理】

人として守るべき道。道徳。モラル。

(大辞林 第三版)

 

例え罪を犯した一人の無名の人間だったとしても、こういった報道の仕方は倫理があるとは思えないが、

無実を主張しているASKAさんの今回の一連の報道内容が、公共性、公益性があるとして、倫理に問われないということは、

人々の意識の大きな偏りを見るようで、深い失望を感じる。

 

タクシー映像の放送後の各反応については、以前まとめた記事があるので、参考までに掲載しておく。

ASKAさんのタクシー映像、放送後の反応 まとめ。*追加あり - dyko’s diary

 

その他、ASKAさんの逮捕に関する報道については、カテゴリー「ASKAマスメディアの報道」の中の記事でも詳しく取り上げている。

 

これらを見て、あの一連の報道が問題ナシだと思う人が大多数だとしたら、全く生きにくい世の中になったものだと思う。

心が麻痺しているとしか思えない。

そして、問題アリ、と思う人にとっては、ますますマスメディアから離れる理由となり、それを信じる人々との間に、大きな溝ができるだろう。

 

メディアが、今回のBPOの注意喚起や、視聴者からの直接の意見を重く受け止め、報道姿勢を見直し、本当の意味での倫理ある質の良い番組、報道が増えることを願っている。

 

そして、ASKAさんには、

法的措置は当然のことながら、

 

何よりも

 

ASKAさんの魂の歌を、

 

世の中に響かせていって欲しい。

 

 

 

 

 

※追記  

 

9月28日

本日、裁判です。

昨日、弁護士が家に訪れました。

雨の音で目が覚めました。 - aska_burnishstone’s diary

 

2017年9月28日、

ついに裁判が始まったようだ。

この報告をきっかけに、改めて当時の報道を振り返る。

どう考えても腑に落ちない。

それは私だけではなく、TV報道だけに限っても、BPOで討議される程、多くの視聴者が感じたこと。

そのBPOの討議の結果も、未だ全く納得できないものではあるが。

 

どの件をどのように訴えることにしたのかは、今の段階で明言されていないので、具体的な意見は控える。

それでも、裁判に持ち込まれないものも含めて、あの一連の報道のようなことは、もう二度と繰り返されてはならないと思う。

 

「負けても得」

何度も言いますが、

「過去の判例」

を、利用しているのです。

僕は、今回、

その判例を変えるために裁判をします。

とりあえず、視聴率、部数・・・。

それで苦しんできた方達、世間から消されてしまった方達が、どれほどいるでしょうか?

 

そのための裁判です。 

  

このASKAさんの言葉の方がよっぽど「公益性」がある。

しかしこの裁判を取り上げるメディアはいるだろうか?

 

個人が世界中に発信できるようになった今、報道する側、受け取る側の両方が、意識を変える時がきているのだと思う。

自分の損得勘定からではない重い荷物を、敢えて背負って立つASKAさん。

私は支持し、応援していく。

 

 

ASKA 『X1』個人的感想。

 X 1 ASKA

西向きの窓のようさ 君の生き方は

光が遅れて差し出される場所 

2曲目です。 - aska_burnishstone’s diary

 

 

ASKAさんの『X1』公開後、たまたま遅くまでやらないといけない仕事があった。

 

気の重くなるその仕事中、

やっとやり遂げた後、

ようやくベッドの中で、

 

朝の陽射しの中でコーヒーを飲みながら、

慌ただしく身支度をしながら、

窓の外をぼんやり眺めながら、

上手くいかない現状に溜息をつきながら、

 

たった一日だけど、生活のいろいろな場面で聴いた。

 

その時々の自分の心に気にかかっていること、

今戦っていること、

これからの不安、

感情の動きなどで、

『X1』は違った色を持つ。

 

さわやかな気持ちで前向きになったり、

涙がこみあげそうになったり…。

 

重たい人生の現実、失敗、挫折を、

大きな優しさと愛情で、

さらりとストレートな歌詞と、

懐かしくもキャッチーなメロディーで包み込む。

 

「FUKUOKA」は教科書に載せられるような大地を感じる優しさ、

「X1」はCMやドラマの主題歌に使えそうな日常のすぐそばにいる優しさ。

 

「いろんな人が歌ってきたように」(album『SCRAMBLE』2012年)

に、繋がっていく。

 

 

今回の album 『Too many people』は、「優しさ」が多面的な音楽表現のあちこちに感じられる、ASKAさんの本質が存分に現れた、象徴的な一枚となりそう。

ASKAさんのカオスそのままに。

 

強い向かい風の中、

スタジオ環境もままならず、

今までやったことのない音楽制作以外の細かな作業一つ一つまで、

 

自身の信念で創りあげた渾身のalbum。

 

アカペラでも、ギター一本でも、声が出ていなくても、

歌うことを続けてくれるだけで十分、

との想いを遥かに超える、

ASKAさんの才能、本気を感じる。

 

 

この歌にでてくる「君」は、

 

挫折や困難を抱えながらも頑張っている人みんな、

 

 

 

 

そして誰よりも

 

ASKAさん、

 

貴方のこと。

 

 

 

 

ASKA『 X1』

これには、まいった。

 

2曲目は1月24日前後発表、

ということだったので、その辺りに合わせて心身を整えていくつもりでいた。

 

大げさなと思われるかもしれないが、

 

待ち遠しいを通り越して、今までに味わったことのない熱い感情の波に日々翻弄され、未だ戸惑っている者としては、

こういう不意打ちに思いっきり動揺するのです。

 

嬉しい動揺だけどね。

 

 

待ちきれないASKAさんの

「じゃぁ、今度はこれ聴いて !」

という声が聞こえてきそう。

早く聴いてもらいたかった。

早く聴きたかった。

 

ASKAさんが早くブログにアップしようと、リンクを間違えて貼ったり、貼り直したり、歌詞を写し間違えたりと、なんかバタバタっとしていたところが、ライブみたいでまたいい。

学校でいいことがあって、目を輝かせて走って帰ってくる。靴を脱ぐのもそこそこに「ねぇ、聞いて聞いて」と息も切れぎれに、順序もバラバラにしゃべりはじめる。

そんな少年みたい。

 

ASKAブログの醍醐味も感じた。

 

 

今日(1月20日)はアルバム発売のお知らせを、お知らせの文字だけを、時間ができれば眺めていた。

 

アルバムの予約もできた。

 

それだけで十分過ぎるほど満足な一日。

 

思いがけない2曲目発表のお知らせに、

速攻でリンク先を押したい指をぐっと抑えつけて、

 

とりあえず、掃除を始めた。

 

 

高鳴る鼓動を心地よく感じるまで、あれこれ片付けをする。

 

 

 

それから、

 


X 1 ASKA - YouTube

 

曲名を見たときは、「かけるイチ」と読んでいた。

どこまでも一人ぼっちという意味だと思った。孤独がテーマかな、と。

 

 

「クロスワン」ね。

 

X1の人に向けた歌って新鮮だ。

 

離婚した人も、別れてしまった人も、

そうでない人も、

 

頑張っているのは見てるよ、大丈夫、君は素敵だよ。

 

って、エールを送ってもらえる。

さわやかなミディアムテンポ。

深く孤独と向かい合う歌なのか、との想像を良い意味で裏切ってくれた。

 

はっきりと分かる、元気の出る言葉がいい。

 

この歌を聴いていると、

応援してもらってる気持ちになる。

 

例え取るに足らないちっちゃな努力でも、頑張ってるね、って言ってもらってるような…。

 

 

そのままでいい。

 

頑張ってるから。

 

 

そんな優しさが嬉しい歌。

 

 

 

 

ASKA New Album 『Too many people』発売日 決定 !!!


f:id:dyko:20170212211914j:image

 

あぁ、ついにここまできた。

 

 

New Album

 

Too many people

 

は、

 

2月22日発売に決定いたしました。

報告です。 - aska_burnishstone’s diary

 

 

ただの連絡事項のような一語一語が、愛おしくて仕方ない。

大げさではなく、抱きしめたくなる。

4行で表せる、たったこれだけのお知らせ。

そのために乗り越えなければならなかった、いくつもの険しい斜面。

 

パソコンの画面にアップで表示して、ずっと眺めている。

 

 

曲目は、

01 FUKUOKA

02 Be Free

03 リハーサル

04 東京

05 X1

06 それでいいんだ今は

07 Too many people

08 と、いう話さ

09 元気か自分

10 通り雨

11 信じることが楽さ

12 未来の勲章

13 しゃぼん

報告です。 - aska_burnishstone’s diary

 

曲名を見て、11月27日のASKAさんのブログ「今、13曲をとおして聴きました。」を読んだときの気持ちに引き戻された。

あの時も、とうとうアルバムが完成間近だということが実感として湧き、胸がいっぱいになった。

まだまだ時間がかかったところで、大丈夫。

ASKAさんが一歩一歩確かに歩いてるなら、と構えていたのに、もうすぐだ、と意識に入った途端、コーヒーを煎れたばかりなのにまた煎れたり、普段は無愛想な朝に、にやけた笑みで外の鳥に話しかけてみたりと、行動に異変が起きた。

僅かな間だったけど、居心地の良い変化。

また何かおかしな現象が起こるかもしれない、それすら楽しみの一つ。

 

 

「信じることが楽さ」

 

初めて公開された全曲名で、うゎっと吸い寄せられた一つ。

ASKAさんが勾留中、『700番』を読み返していたときに強く印象に残った散文詩だった。

報道のあまりの暴挙に憤り、やるせない想いで再び読んだ「信じることが楽さ」。

 

「悲しみの言葉を 綴ることのないよう

水たまりを避けながら 行くことが苦手で

 

疑うことは寂しいことなんだ

人を信じることが楽さ」

 

(『700番』週刊文春の章より引用)

 

逮捕や報道への疑念だらけで、悶々と過ごしていた時期に、

週刊文春の章の終わりでこの詩を書けるASKAさんを想い、「ASKAさんって人はどこまで····」と言葉を失った。

 

この詩がベースになった歌はいったいどんなだろう。

12月24日の「世界に Merry X'mas」で書いたように、ASKAさんの底知れない優しさ、を感じる歌なのだろう。

 

待ち遠しいを通りこした、この感情。

 

 

 

小学生の時、レタリングの授業で四字熟語を選んでデザインした。

 

その時に選んだ言葉

 

「感慨無量」

 

当時は意味もよく理解できていなかった。

そんな感情を知らなかったから。

 

 

 

今はこの一言が、

一番気持ちを表している。