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個人発信が力を持つ時代。

ASKAさんの逮捕に関する暴力的な偏向報道には、多くの人々が疑問をもったことだろう。その後の不起訴、釈放により、マスメディアは自分たちの決めつけに過ぎない態度を自覚し、真摯に反省しなければならないことに気付かなくてはならない。

「信用するにあたらない」と自らレッテルを貼るのでなければ、自分たちのお友達はかばうくせに、背後に圧力のない対象にはデタラメでも面白くしたもん勝ち、のような扱いをし、報道することは止めなくてはならない。

 

とっくにそういう裏側も見えている人もたくさんいるが、皆が皆、全ての問題を深く掘り下げ、調べるわけにもいかない。それぞれの仕事があり、時間も限られた日常なのだ。

だからこそ、簡単に耳に入るテレビや、見出しだけでも目を惹く雑誌、新聞は、きちんと情報を伝える努力を怠ってはならない。

 

体質というものは、なかなか一朝一夕に変わるものではないことは良く分かっている。

それでも、一人一人が意識を変えていくなかで、変わっていくこともあると私は信じている。

 

そこで強調したいのは「個人発信の重要さ」である。

YouTube や Twitter、ブログなどにおいて、一人一人が不特定多数に発信できるツールを持つことは、情報操作へ抵抗する手段としてとても心強い。

 

個人発信の情報には、もちろん個人で自由に発している分、鵜呑みにはできないところはある。だけど、実生活で得た経験をもとに、様々な情報の中から、必要なものを見分けたり、自分の考えを深めたりすることには、大いに役立つこともあるのは確かだ。

 

何といっても、実体験の中から生まれる情報、感想には説得力がある。

 

今日(12月22日)のASKAさんのブログ更新は、まさにその重要性が現れていたように思う。

尿とお茶 - aska_burnishstone’s diary

 

相変わらずASKAさんの人格を損なう内容の報道が続く中、ブログというツールは、誰にも編集されない、ASKAさんらしさが保たれるという点からも防具としては最適だ。

 

歌は歌として、芸術の域の表現であり続けるために、別にしないといけないだろうから。

 

ブログを始めた頃から一貫して、ASKAさんは冷静に事実を伝えよう、誠実であろうとしている。

全てを語る必要はもちろんないのに、その中でも出来るだけ多くのことを、不器用なまでに細かく綴っている。

 

供述内容とは違う言葉が、何故か警察発表として報道される。

今回の逮捕報道の中でも、ASKAさんが「人が信じられなくなった」と言っていて、言動が不審だとマスメディアでは伝えられていた。ASKAさんがわざわざ自身のブログで、そんなことは言ってませんよ、と伝えたにも関わらず、その言葉はマスメディアの中では重きをおかれてこなかった。

 

ずっとブログを読んでいたら、逮捕の流れにはまず疑問を持つのが自然だろう。

実際、ASKAさんのブログのコメント欄では、「誤認逮捕」を疑う声がも多く残されていた。

 

以前の逮捕時にも同じようなことがあったのは、削除された「700番」で語られていたので、今回の逮捕に疑問を持った時、理解の大きな助けになった。

 

 

いつまで間違った情報を、さも真実のように流し続けるのだろう。

 

このままいけば、マスメディアは自滅の道を辿ることになる。

その危機感はそろそろ持たないわけにはいかないだろう。

繰り返される「公共性」「公益性」も、さすがにもう苦しい言い訳だ。

 

それにしても、ASKAさんは井上公造氏、「ミヤネ屋」、宮根誠司氏のように、明らかに言い逃れもできない罪を犯した人々に対しても、丁寧で礼儀正しい。

 

ASKAさんの根底にしっかりとある、大きな優しさ、愛が伝わってくる。

 

その愛が見えている人、感じる人もたくさん存在している事実。

 

それが大きな希望になっている。