喜びの共有。
ポパポーポパピパプ☀️ - aska_burnishstone’s diary
と、はっちゃけた挨拶にクスッと笑わされた昨日 (6月18日) のASKAさんのブログ。
だけど読み進めていくと、その内容は、いろんな意味で心にズシーンと重く響くものだった。
メールの送信妨害、偽セキュリティソフト、
止まないネットのトラブル。
そして「ROCKET TOUR」のDVDがお蔵入りとのお知らせ。
(゚◇゚)ガーン どころではない心境に。
前夜の
最近の一言。 - aska_burnishstone’s diary
は、ぼやきのような、悟りのような印象で、
いろいろと考えさせられていたのだけど、
つまりはそういうことだったのかな、と想像する。
この夏堪能できたかもしれない、幻だった、そして今また幻になったDVD。
正式に購入して「じっくり観たかったなぁ」と、未練がましい気持ちが心を過ぎる。
説明された理由は理解できた。
ASKAさんの気持ちも納得した。
話が平行線である限り、今の段階ではもう仕方のないことなのだろう。
「いつか観ることができればいいな」
もうそのぐらいの気持ちになっておくことにしよう。
そこで思ったのは、
日々抱く「人を喜ばせたい」けど「自分はそうしたくない (できない) 」という時の葛藤。
「良い人」とは、自分を抑えて人を喜ばせることのできる人なのか、
それとも自分の想いに忠実な人なのか。
"自分の想い”にも寄るだろうけど、やはり前者の方が「良い人」のイメージなのだろうか。
自分の想いが人を喜ばせることができれば、それが一番幸せなことなのだけど、毎シーンそういう訳にはいかない。
自分の想いが人を喜ばせることに繋がるように、自分をしっかり見つめていく作業が大事なのだとは思うけど、それすらどうにもできない場合があるからやっかいだ。
ここでも「バランス」が大切なのかな。
ただ、特にアーティストとしては、譲れないものには信念を持って取り組まないといけない、周囲の反対を押し切ってでも突き進まなくてはならないところがあるだろうし、それは何をおいても尊重されるべきだと思う。
ASKAさんは、とんでもなく心の優しい人だと感じるけど、「作品」の前にはどこまでも自分の感性に忠実であって欲しい。
なので、このDVDの一件で、その毅然とした姿勢がはっきりと示されたことは、「さすが。それでこそ!」と、頼もしく嬉しく思った。
なぁに、もっと良い作品を作ってみせます。
僕は、今を生きています。
この言葉が何よりも心強い。
これからどんな作品が生まれるのか、そのワクワクだけでも幸せだ。
「やりたいことをやる、やりたいように」
心からの叫びを、絶対に叶え、
過程も含め、その喜びを共有していきたい。
そして、そして、
最高の喜びを共有できる「ライブ」
全国縦断ツアーは、来年の秋から次の秋まで1年かけてでも、いやもっと長くてもいい、じっくり、すみずみ、たーっぷりと、やっていただきたい!!!
これだけは、行きたい人全員が参加できますように。
どうかよろしくお願いします!!!