ASKA MV「しゃぼん」を観たら。
顔を手で覆う、うつむく、正面を見据える、目を閉じる。
画面からはみ出すASKAさんの顔、手の表情、シンプルなライティング。
それだけで、こんなにも心に迫ってくるなんて。
「いま幸せですか 苦しいですか
何度も自分に問いかけてみる 投げる」
ど直球の歌詞を前に、ただただ圧倒され、息を呑む。
切なさに胸が締めつけられる。
「しゃぼん」は、心に訴えかけてくるものが強すぎて、時をよく選んでではないと聴けない曲だ。
そのため、アルバムの中では一番聴く回数も少ない。
だけど一旦その世界に浸ると、一番深い音で精神の奥深くに響き、いつまでも残っている。
「僕の愛に嘘はあるかい 心を守る景色はあるかい
君の側に歌はあるかい きらきらとしてるかい」
自分を見つめて、目を逸らしたくなるところをまた向き合って。
本当の幸せに辿り着くためには、避けて通れない苦しみ。
その険しい道を通らずに選んだ居心地の良い場所は、実はもろい地盤の上にある。
そんなことを考えさせられる。
5月2日
細かい注文に、面倒くさがることなく、愛情で付き合ってくれました。
ASKAバンド、メイク、スタイリストもそうでした。
「ギャラなんて、どうでもいいです。」
一生涯の仲間です。
5回、やり直しました。 - aska_burnishstone’s diary
今日のASKAさんのブログでの言葉に、大きくうなずいた。
愛情だけではなく、ASKAさんと深く関わる人たちは、魂のレベルで響き合って、その作品を創り上げているとしか思えない。
そこに損得勘定は働くはずもなく、尊い使命を果たすために夢中である、それだけなのではないか。
そう、そういうことなんだ。
レベルは随分違うけど、私もこういう精神で、生きていきたいのだ。
なぜ、ASKAさんの音楽に、ASKAさんにこうも惹きつけられるのか。
ブログを通して、喜び、悲しみ、思い出、日常、信念を伝えてもらえることで、少しずつはっきり見えてくる。
目を逸らしかけていた、大事な事に気付かされる。
YouTube での紹介文。
「人の世は我を何とも言わば言え 我成すことは我のみぞ知る」
今、僕に必要なのは、この信念です。
昨年、アルバム制作に精力を注ぐASKAさんから、幾度も思い浮かんだ言葉 (句) でもあった。
11月3日
言えることは、
石を投げれば、平たい水面は必ず変化する
それが、「吉」なのか「凶」なのか、
これもまたわかりません。
「吉」でも「凶」でも、
ひとつの景色が現れます。
何もしないと、何も生まれません。
僕の小石は歌です。
どんな水しぶきを上げるのか。
これまでは、投げ込んだ時の音で、歩く人を振り向かせていたように思います。
今は、投げ込む姿から見てくれている人たちがいる。
これが、僕のブログのあり方のように思えてきました。
福岡から、今戻りました。 - aska_burnishstone’s diary
この日のブログから更新がしばらく途絶えていたとき、強い向かい風にもめげず、石を投げ込もうとしているASKAさんを想って、コメントにもこう書いた。
「【世の人は我を何とも言わば言え 我成すことは我のみぞ知る 坂本龍馬】
今のASKAさんの心境かもしれないなぁ。
信じる道を一歩ずつでも進んでいく、その姿が必ず人の心を動かすだろう。そう思う。
行き詰まった時には、【疲れちょると思案がどうしても滅入る よう寝足ると猛然と自信が湧く 坂本龍馬】
こんな言葉も思い出して欲しいな」(11月14日)
後で、ASKAさんが昔から好きな言葉だったということを知ったのだけど、きっと今でも変わっていないはず、と思える程、ASKAさんに重なって見えていた。
そしてやはり、時を経ても揺るがないASKAさんの信念が「しゃぼん」の MV 全体に表れていた。
周りの忠告や批判を気にしてばかりでは、本当に自分の表現したいことがぼやけ、達成することができない。
自分を真っ直ぐ見つめる苦しい作業をした上で言えることではあるけど、表現者だけではなく、人としても当てはまるところがあるように思う。
画面には到底収まりきらない、ASKAさんの世界。
枠からはみ出してもいいんだ、
むしろはみ出した部分を大切にしていこう。
「しゃぼん」のMVからは、そういうメッセージが伝わってくる。