ASKAさんの本『700番 第一巻』を読んで。
発売から約一ヶ月。
ASKAさんの『700番 第一巻』を、やっと最初から最後まで通して読むことができた。
3月に出版されたと同時に、加筆修正部分を中心にざっと目を通してはいたけど、その後はなかなかじっくりと向き合うことができなかった。
理由として、
2016年1月にWeb上にブログ版『700番』が公開されてから7月にASKAさんのブログが始まるまで、いや始まってからも、何度も読み返していたということ。
2月22日に発売された New アルバム『Too many people』に、すっかり心と時間を奪われていたということ。
3月は、ASKAさんがたくさんブログを更新してくれ、気持ちが「今」を向いていたということ。
などが挙げられるけど、
一番大きかったのは、以前読んだ時の心の重苦しさが、1行読む毎、1ページめくる毎に蘇ってきて、自分の自覚していた以上の痛みを感じたことだと思う。
何が起こっていたのか、ASKAさんはどんな思いだったのか、今何を思うのか。
例え辛い現実を知ることになっても、ASKAさんが公表する意志を持っている以上、読みたい、理解したいとはずっと思っていたことだった。
※『700番』に関する想いを綴った過去ブログ。興味のある方は緑色のタイトルをクリックしてどうぞ。
1月3日
ASKAさんの 本『700番』の出版について想うこと。 - dyko’s diary
1月19日
ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』発売前に想うこと。 - dyko’s diary
2月20日
ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』を読む前に考えたこと。 - dyko’s diary
2月21日
メディアによる報道、特にASKAさんの件に関しては、信頼に足る情報ではないことは分かっていたけど、
私にとってはASKAさんの綴るASKAさんの真実の方が、ある意味、重く心に響いた。
「デタラメでしょ」とあしらう訳にいかない紛れもないASKAさんの真実は、
雑誌記者が考えたストーリーとは全く別の、複雑で深刻な側面を抱えていた。
その後、アルバムの制作過程や、ASKAさんの様子を直にブログで知るうちに、
『700番 第一巻』の内容の重さは、徐々に軽くなってきてはいた。
ただ、
昨年11月の逮捕、不起訴の経緯、
『700番 第二巻/第三巻』の出版を経て、
もともとの使命がより分かりやすくなった上に、新たな使命も背負ったように思えた。
読了してしまうと、
ブログ版『700番』を読んだ時とは、印象が大きく変わって心に残った。
事実の重さに負けない、ASKAさんの強さがまず、
「はじめに」と、それに続く散文詩「本の中で」から伝わってくる。
その上で、よくぞここまでと思うほど誠実で、細かい状況、心理描写。
ちょっとした勘違い、偶然の出会い、人を思う優しさが、次々とASKAさんを底なし沼へ誘うかのように、絡まってきたのだということがよく分かった。
ASKAさんも書いているように、全ては繋がっていて、どれも切り離すことはできない。
厳然たる事実に裏打ちされた、ASKAさんの真実は、確実に説得力を増していた。
それは、
7月から始まったブログ、
2月に出版された『700番 第二巻/第三巻』、
アルバム『Too many people』、
ASKAさんの今、
全て通して見てみることで、
さらにはっきりとした景色となって届く。
ASKAさんの通った道は、稀有な側面もある一方で、実は似たようなことは私たちのごく身近にも起こり得る。
そういったことから、
- 覚せい剤、MDMAなどの違法薬物
- 逮捕、起訴、不起訴、そして冤罪
- メディアの有り様、あり方、受け取り方
- ネット社会での問題、盗聴盗撮、のっとりやストーカー行為
などを、一人一人がひとつひとつの事柄を固定観念や偏見を捨て、調べたり掘り下げて考え、理解を深めることも、この本の役割の一つであるように思う。
そして、
ASKAさんが「はじめに」で、
この本を【作品】と位置付けている、
とするその意味は、
伝えたいものがはっきりある、
ということなのではないだろうか。
3月22日
楽曲は「何が言いたいか」「何を表現したいか」「何を、どう伝えたいか」・・・。
それだけです。
作品と呼べるものは、たとえ種類が違っても、表現したいことは同じです。
(中略)
明日を見据えた人間は、本当に強い。
明日を糧に明日を見る。
作品とは、そうありたいものです。
ただ今、熊本から帰って参りました。 - aska_burnishstone’s diary
『700番』は全巻を通して、ASKAさんの「作品」なのだ。
続きとして、『700番 第四巻』が書かれる日も来るかもしれないという思いもあるけど、それは是非とも解決を含んだ内容であって欲しい。
時として自分の力だけでは動かせない「結果」は受け入れないといけないけど、その結果に至る「過程」にこそ、その人らしさ、真の姿が表れる。
過程は注目されることもなく、見せないようにすれば見えないけど、
晒さなければならない運命だったかのような、ASKAさんの「過程」を知れば知るほど、ASKAさんとASKAさんの「作品」の偉大さに気付かされる。
私はこの『700番』が、その真の価値を広く認知されるのには、もう少し時間がかかると思っている。
それでも、ASKAさんが人々の心に音楽を届け続けることが、やはり一番説得力のある姿でもあり、大きな希望だ。
明日を見据えているASKAさんに
必ず陽は昇る。