ASKAさんは真の芸術家。

友人のミュージシャンと共同制作したデモ段階の未発表楽曲を、当時週刊文春の記者であった中村竜太郎氏に聴かせたところ、隠し録音されていて、後日文春Web有料会員に公開された。

 中村氏はASKAさんの留置されているところへ手紙を送り、「涙が出そうになりました」と曲の感想を書いてきたらしい。

 

井上公造氏には、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」で、井上氏の携帯電話に送付したこれまたデモ段階の未発表楽曲を公開された。

それにかぶせて宮根誠司氏は「我々はCHAGE and ASKAやASKAさんの曲をほぼほぼ知ってるわけですけど、その今までの曲調とは全然違いますよね」と発言。井上氏も「違いますよね。まぁきれいなメロディーではあるんですけど」と同調。宮根氏は「そうですね。どっちかというと幻想的な」と続けた…。

 

彼らの歪んだ表情、的外れのコメントは観ていて決して気持ちのいいものではなかった。

 

この二つの公然と行われた著作権侵害。

これらを以てしてもまだ、音楽は人の心を動かすはず、というASKAさんの信念、純粋な音楽への愛、人間への愛は一体何なのだろう。

 

私だったら、この類の方々には、申し訳ないが「音楽が心に響く」なんてことはもうないものだと諦めてしまうように思う。

そういう感受性を持っていては、やっていけない職業についているからなのかもしれないが、音楽を始めとする芸術に心から感動することはないのだろうと。

聴かせるに値しないと上から目線で距離を置き、彼らと同じような表面上のお愛想しか言わないだろう。

 

アーティストを少しでも尊重していたのなら、未発表楽曲を悪びれもせず公開する、しかもその行為によって仕事として報酬をもらう、そんなことは絶対にできない。心があれば、絶対にしない。

 

そこに愛はない。

 

それでもASKAさんは音楽を創り、歌うしかない。

音楽を愛し、音楽の力を心底信じている。

 

裏切られても、それでも、いやそれだからこそ。

 

ASKAさんは真の芸術家なのだ。

 

どんな酷い目に出会っても、愛を持って、歌に詞に昇華させることができる。

 

これほどの人は何としてでも守っていかなくてはならない。

近くにいると、振り回されるだろう、エネルギーを奪いとられるだろう、疲れるだろうけど、芸術家というのはそれ以上の苦しみを抱えている。

ASKAさんがASKAさんとして表現できる手伝いをすることは、関わってしまった人、心に響いてしまった人の役割なのだろう。

共に苦しむしかない。

 

理解できないところもあるだろうが、

これだけの事を経てもなお、多くの人々の心を魅了し続け、強く待たれているASKAさんの音楽の力。

底知れない、大きな力。

 

 

あの日マスコミがASKAさんの自宅ガレージの中へ縦横無尽になだれ込み、車のエンブレムが折れ、踏み潰される映像を観た後、やり切れない想いを抱えて、無性に聴きたくなったのはやはりASKAさんの歌。

 

 

それでもまだ生きていこう、

 

そういう愛のあるメッセージが、伝わってきた。

 

いつだってASKAさんの歌は、

苦しんでいる時には一緒に苦しんでくれる。

悲しい時には一緒に悲しんでくれる。

頑張っているときには一緒に頑張ってくれる。

 

ASKAさんの歌に出会えたことは、

同じ時代に生きていることは、

大きな大きな幸せだ。