ASKAさんが動くとき。

有言実行。

ASKAさんを見ていると、つくづくそう思う。

 

たくさんの人たちが、道具を使って、小石を動かすような振りをしてるけど、

水面からでは、決してできないこと。 

声を上げて、空の顔をして、

景色の主役のようになって、僕を庇ってくれなくてもいい。

 少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary

 

12月27日にASKAさんのこのエントリーを読んだ時は、少なからずショックを受けた。

 

人間不信に陥ってもおかしくはない異常な報道。

それに憤りを感じた、多くの人たちの感情をも納得させる、到底真似のできない、優しさの滲み出る表現の一つ一つ。

 

本当にどこまでお人好しなんだろう、優しすぎるではないか、と。

 

同時に、ASKAさんに関する大部分の報道には、どうしても見過ごすことができない面があり、そうは言ってもこれはASKAさん1人の問題ではなく、社会全体の問題でもあるのだから、考えないわけにはいかないとも思った。

 

11月以降のマスメディアの報道については、このブログでも、ほぼリアルタイムで取り上げているので、興味のある方はエントリー名の下、カテゴリー「ASKA マスメディア報道」をクリックして読んでみてください。

 

 

ただ悲しい、しょうがないと嘆くのではなく、時には大きくはっきり声をあげることも大切だ。

現に今も、ASKAさんの言葉に真実味を持たせないように、との意図を感じる記事ばかりが書かれている。

大人しい人には、やりたい放題。

ASKAさんの件だけではなく、

世の中に対するメディアの役割とは一体何なんだろう、と考えさせられるような報道が最近多い。

一視聴者、読者としても、メディアへの不信感は増す一方だ。

 

だからこそ、なのか12月29日には、

 僕は、今、しっかりとした法的な手続きを取っていますので、

どうか見守っていてください。

身勝手なメディアの行動、興味をそそるだけの報道に目を瞑ることはいたしません。

責任は取っていただきます。

迷いはありません。 - aska_burnishstone’s diary

と、明確にASKAさんの姿勢を示してくれた。

 

声のあげ方が単なる「いじめ」にならないよう、どうしても譲れない、また確実に正せる件に冷静に対処する。

 

ASKAさんにかかる負担を考えると、無理強いはしたくないけど、当然必要なことであると思った。

 

4月23日には、

今日は、夕方から3人の弁護士と最終に近い打ち合わせをいたします。

(中略)

この四つの案件に関しては、僕個人だけの問題ではありません。

僕が黙っていると、また同じようなことが繰り返されるでしょう。

僕個人の問題ではないのです。

密談。 - aska_burnishstone’s diary

 

と、ついに、法的措置をとる最終段階にきていることを知らせてくれた。

 

この3つのエントリーを読んで、マスコミ関係者、特にASKAさんを積極的に取り上げてきた人たちは何も感じないのだろうか。

 

人間として、大切なものを思い出させてくれるようで、何度も読み返したくなる、

それこそ「優しさの宿っている」言葉たち。

 

『700番/第一巻』の「週刊文春」の章や『700番 /第二巻 第三巻』の「三巻」には、ASKAさんから見た当時の状況が綴られている。

 

テレビや雑誌での報道と比べてみると、信憑性が高いのはどちらだろうか。

妄想を並べているのは、どちらだろうか。

 

ASKAさんが例え本を出版していなかったとしても、

昨年の逮捕時の報道は、思わず「はぁ?」と声を出してしまうほど、目を耳を疑う信じがたいものだった。

起訴、不起訴以前の問題だが、不起訴になった後も、そう大きな改善は見られていない。

マスコミの体質を改善するためには、ショック療法が必要なのだろう。

 

 

ASKAさんの行動の底辺には、大きな優しさがある。その優しさは勇気となり、ASKAさんの歩みとなっているのだと思う。

 

そして、音楽に対する情熱を失うどころか、それが真っ直ぐ人々の心に届くため、純粋に精力的に音楽活動に取り込んでいることは、

 アルバム『Too many people』、5月にはその配信開始と台湾でのリリース、今日、明日にでも発表されるという「作品」などからも強く感じとれる。

 

例えギターが割れたって 鳴らしてみる空へ

                                           それでいいんだ今は

 

伸びやかに歌い続けながら、

大切なものを守ろうとするASKAさんの姿勢からは、

 

世の中を変える「力」と、大きな「愛」をいっぱいに感じる。

 


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