言葉を大切に、心は柔らかに。

小さい頃から、本を読むことが好きだった。
本に限らず、新聞、雑誌、商品の説明文まで、気付いたら目は言葉を探している。


情報を自分のリズムで理解できたり、情景を自分の想像で思い浮かべることができる自由さが、好きなんだと思う。

どれだけ時間をかけて読もうが、一つの言葉から連想して全くかけ離れた世界へ飛ぼうが、自由。
そしてその自由は目立つことがない。


だけど、その自由さが好きな言葉も、コミュニケーションの手段として使われると、途端に取り扱いの難しいものとなる。

一つの言葉から膨らむ自由なイメージが、相手との間にズレや隙間を生じさせ、誤解や心の傷の原因となることがある。

どんなに慎重に言葉を選んでも避けられない、言葉を使ったコミュニケーションの限界。

言葉は自由だからこそ、発する側も受け取る側も柔軟な心でいることが必要なのだと思う。

その言葉に託された "気持ち” の方を理解するために。



ASKAさんはブログで、

『言葉は、ただの道具。 伝わらなくては、意味がない。』

ということを繰り返し綴った日があった。


少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary


この日の記事は意味深長で、しばらく考えこんでしまった。
そして今でも、言葉という道具をちゃんと使えているだろうか、という自問自答は繰り返している。

「伝わらなくては、ただの道具」だと。




最近のASKAさんのブログでも、
「宗教」や「主婦」、「アルバイト」、「アホ」などといった言葉が使われた時、そういった言葉自体に強く反応してしまった人にとっては、話全体の真意は伝わりにくくなってしまう、
ということに気付かされたことがあった。

言葉は本当に難しい。


でも、もし一つの言葉に対して、自分の気持ちがもやもやしてしまったとしたら、
その言葉が何故気になるのかをまず突き詰めて考えてみるといいと思う。

必ず理由は自分の中にある。

逆に自分がこういった言葉を使う場合は、
自分の人間性を相手に十分理解してもらっている、という信頼がないとなかなか難しいし、時に意図とは反対の意味に捉えられる可能性があることにも注意することが必要だ。

あまり人間性を理解されていない場、もしくはよく知らない人同志での場においては、
言葉自体に誤解されやすい要素がある時、まず自分がこういった意味でこの言葉を使いますよ、といったニュアンスを含ませることが大切なのではないだろうか。

少しでも言葉を気持ちに近づけるために。


そういうことまで考えるのは面倒、それなら何も言わないでおこう、
というズボラな思いから、

私は、
「沈黙は金なり」

(イギリスの思想家·歴史家のトーマス·カーライルの『衣装哲学』にある言葉 "Speech is silver, silence is golden.”から。よどみなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることは、もっと大事だということ。故事ことわざ辞典より)

という格言を拡大解釈して言い訳に使い、黙ってしまうこともある。

ただ、
状況を見極めて敢えて黙るということではなく、コミュニケーションを諦めて黙るというのは、とても淋しい選択だ。



表現者であるASKAさんは、
自分の感性に忠実で、言葉に臆することがないように思える。

歌の歌詞、散文詩、ブログ、本と様々な形で、言葉を使って表現し続けるASKAさん。

ASKAさんの豊かな表現に向き合うことで、日々新たな気付きがある。



見習ってとは、簡単にいかないが、


難しいからと諦めないで、

日々交わされる言葉一つ一つをもっと大切に、
柔らかい心で人の気持ちを理解したい、
自分の気持ちを伝えていきたい。

そして、

どうしようもなく、
言葉で傷ついたり、腹のたつ時は、

独り言で発散したり、
話題に直接関係のない友人に聞いてもらったりして、
感情の逃げ道も作ってあげる。


そう思いつつ、

まだまだ、

迷いも失敗も尽きない、

学びの途中。





大好きな言葉を、

上手に使えるようになりたい。