ASKAさんの逮捕報道、BPOの見解に疑問。※追記あり。2017/9/29
BPO (放送倫理·番組向上機構) は、1月13日に開かれた放送倫理検証委員会の議事において、ASKAさんのタクシー映像使用については審議の対象にしないことを決定した。
以下、1月23日に公開された議事概要の抜粋。
ASKA氏逮捕報道でのタクシー車載映像使用などについて討議
昨年11月末のASKA氏逮捕報道に関連して、在京民放局が逮捕直前にASKA氏が乗車したタクシーの車載映像を使用したことなどについて、BPOにも「過剰報道ではないか」「プライバシー侵害だ」などの視聴者意見が多数寄せられた。
これを受けて、当該各局から、映像使用の実績、取材の経緯、放送の際の判断理由などについて、報告書が提出された。タクシー車載映像を使用したのは、日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、フジテレビの4局で、各局とも放送にあたっての判断理由としては、「相当程度公的な存在といえるASKA氏の逮捕直前の様子や言動を伝えることは重要で、公益性・公共性が高いと判断した」などとしている。
この他、逮捕前のASKA氏に情報番組のキャスターらが直接電話をかけて、逮捕報道への反応などをインタビューした音声が読売テレビと日本テレビで放送された件については、当該2局は、「本人が容疑を否定する重要な証言と判断して放送した」としている。また、読売テレビの11月28日放送の『ミヤネ屋』では、「ASKA氏逮捕へ」のニュースを伝える中で、芸能レポーターがASKA氏から提供されていた未公開曲の音声を約1分間放送したが、これについて当該局は、「著作権の問題はあるものの、ASKA氏の音楽活動の紹介として報道的にも意味があると判断した」としている。
委員会では、さまざまな観点からの意見交換がおこなわれ、テレビ局に対して厳しい意見も出された。しかし最終的には、問題点はあるものの、各局の報道内容について公益性も否定できない以上、一概に放送倫理違反を問うことは難しいし、ASKA氏が既に釈放されていて、本人のブログ上で「法的手段を進めている」と公表していることなどを勘案して、主な意見を記載して注意喚起をすることで、この事案の討議は終了することになった。
【委員の主な意見】
▪ 単純に考えれば、プライバシー侵害や通信の秘密への配慮不足などが問題になると思うが、個人の権利の問題はこの委員会の本来の対象ではないと思うので難しい。
▪ いくら公益性・公共性といわれても、実際の番組を見てみると、面白いものが手に入ったから放送している印象がぬぐえなかった。
▪ タクシー車内の映像だが、あの程度の内容で公益性・公共性があるという主張には違和感を持った。ただ、今回はこの問題で大きな議論が起きたことを放送局に理解してもらうことでいいと思う。
▪ たまたま手に入った車載映像を各局がそろって使用し、タクシー会社からやめてくれと言われるとすぐやめるということに、一言で言えば「安易だ」と感じた。
▪ タクシー車内というプライベートな空間の映像の使用について若干疑問は残るが、報道の公共性との兼ね合いからいうと放送倫理違反とまではいえないのではないか。
▪ 集中豪雨的な報道はどうかとも思ったが、タクシー車載映像や電話インタビューの使用の是非を論じると、警察発表以外の独自取材を制限してしまうことにもつながりかねない。ASKA氏が法的手段を取ると表明しているのなら、それを見守るほうが良いのではないか。
抜粋以上。
要するに、放送倫理の問題というより、個人の人権に関する問題で、本人が法的手段をとることを表明しているので、そこに委ねるということなのか。
またしても、第三者機構とは思えない見解に、疑問しか残らない。
「公益性も否定できない報道内容で、一概に放送倫理違反を問うことは難しい。」
ASKAさんの自宅前に群がる報道陣、タクシー車内映像、未発表音源無断公開…、
呆れるを通り越した、これら数々の異常な報道を観た時と同じような気味の悪さを、BPOの見解にも感じる。
どこに公益性があったのか、それは委員の意見でも疑問視されているではないか。
報道に関してよく使われる、
「公共性」「公益性」
この簡単な言葉の意味が、どうも都合よく使われているような気がしてならない。
ちなみに辞書では、
【公共性】
広く社会一般に利害·影響を持つ性質。特定の集団に限られることなく、社会全体に開かれていること。(大辞林 第三版)
【公益】
社会一般の利益。公共の利益。(大辞林 第三版)
公共の利益を縮約した言葉。ある社会を構成する個人や集団の私的利益に対して、その社会の全構成員にかかわる共通の利益を指す。現実社会において頻繁に使用される概念であるが、その具体的内容は必ずしも明確ではない。たとえば、政府はその政策を正当化する基準として、公益を多用するが、それが具体的に何であるかについては、単にその自明性を強調するにとどまることが多い。またある人々は、あらゆる私益から独立した客観的な公益の存在を主張するが、それを経験的に確認することは不可能であり、結局各個人の主観的価値が公益の具体的内容に投影されることは避け難い。(世界史大百科事典 第二版)
とある。
「公益」について世界史大百科事典の解説するように、極めてあいまいな公益の存在によって、自分たちの行為を正当化しているように思える。
ASKAさんという有名アーティストを、差別的な態度で報道することが、社会の利益になるとは到底思えない。
そもそもBPOは何を目的として存在するのか。
BPO規約第1章、第3条「目的」において、
「本機構は、放送事業の公共性と社会的影響の重大性に鑑み、言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から、迅速·的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的とする」と掲げている。
このことから、BPOは今回の報道内容について、視聴者の基本的人権には問題なかった、と捉えているということになる。
しかし、盗聴盗撮を覚せい剤使用による妄想、と決めつけたり、犯罪ではあるものの病気の一面もある覚せい剤依存症を揶揄した放送内容は、それぞれの問題に苦しむ人々を著しく貶めているのではないだろうか。
偏った報道を見せられることで、個人の思想が操られ、差別意識を持つことにつながらないだろうか。
そういった疑問を持つ。
放送倫理検証委員会では、「放送倫理上問題がある」と指摘された番組は「審議」、「内容の一部に虚偽がある」と指摘された番組は「審理」するとしており、ASKAさんの報道内容は「討議」の段階で審議の対象とはならない、という結論となったことからも、視聴者からの指摘すら、重く受け止めていないように思う。
BPOには放送人権委員会もあり、「放送によって名誉、プライバシーなどの人権侵害を受けた」という申し立てを受けて審理し、「人権侵害があったかどうか」「放送倫理上の問題があったかどうか」を判断するもので、委員の意見であった「個人の権利の問題」とするのであれば、こちらで審理されるべきだろう。
ただ申し立ては当事者とその家族のみ認められているので、ASKAさんが行わないかぎり審理はされない。
さらに、
委員の主な意見として出された、
「たまたま手に入った車載映像」というのは、
フジテレビがASKAさんの乗ったタクシーを突き止め、9時間以上独占使用し手に入れた、その経緯を知った上での表現なのか、
「集中豪雨的な報道」
「警察発表以外の独自取材を制限してしまう」とは、
警察発表の「陽性反応」のみで、被疑者が「否認」しているのにも関わらず、覚せい剤を使用している、妄想や後遺症があると決めつけた一方的で、確実に人権を侵害している報道内容のことなのか、
問題にするべき点が、視聴者側の感覚とズレているような気がする。
視聴者にとって、何より違和感を感じたのは、
▪ 警察が逮捕状請求段階で報道機関へ情報を流し、逮捕まで6時間以上報道を過熱させ、結果大々的な逮捕報道につながったこと。
▪ 警察の発表を真実、正義と疑わず、ASKAさんの人権を無視した、先入観ありきの報道内容だったこと。
▪ 報道方法が、ASKAさんの自宅ガレージ内侵入、車などの物損も含め、暴力的ともいえる異様なものであったこと。
▪ 本人の無実主張よりも、重度の覚せい剤依存者ということ前提の放送内容であったこと。
▪ 不起訴後も、取材姿勢や報道内容の反省や訂正が、ほとんどなされていないこと。
などではないだろうか。
これらの違和感は、恐怖を覚えるほど強いものであったにも関わらず、そこには多くの注意を払われていないように思われる。
実際の放送を観ていないのだろう、と疑念を抱くほどである。
この討議内容からは、まだ何らかの先入観が委員会の中にあるようにも思え、本当の倫理は未だに問われてはいない、という思いに至った。
【倫理】
人として守るべき道。道徳。モラル。
(大辞林 第三版)
例え罪を犯した一人の無名の人間だったとしても、こういった報道の仕方は倫理があるとは思えないが、
無実を主張しているASKAさんの今回の一連の報道内容が、公共性、公益性があるとして、倫理に問われないということは、
人々の意識の大きな偏りを見るようで、深い失望を感じる。
タクシー映像の放送後の各反応については、以前まとめた記事があるので、参考までに掲載しておく。
ASKAさんのタクシー映像、放送後の反応 まとめ。*追加あり - dyko’s diary
その他、ASKAさんの逮捕に関する報道については、カテゴリー「ASKAマスメディアの報道」の中の記事でも詳しく取り上げている。
これらを見て、あの一連の報道が問題ナシだと思う人が大多数だとしたら、全く生きにくい世の中になったものだと思う。
心が麻痺しているとしか思えない。
そして、問題アリ、と思う人にとっては、ますますマスメディアから離れる理由となり、それを信じる人々との間に、大きな溝ができるだろう。
メディアが、今回のBPOの注意喚起や、視聴者からの直接の意見を重く受け止め、報道姿勢を見直し、本当の意味での倫理ある質の良い番組、報道が増えることを願っている。
そして、ASKAさんには、
法的措置は当然のことながら、
何よりも
ASKAさんの魂の歌を、
世の中に響かせていって欲しい。
※追記
9月28日
本日、裁判です。
昨日、弁護士が家に訪れました。
雨の音で目が覚めました。 - aska_burnishstone’s diary
2017年9月28日、
ついに裁判が始まったようだ。
この報告をきっかけに、改めて当時の報道を振り返る。
どう考えても腑に落ちない。
それは私だけではなく、TV報道だけに限っても、BPOで討議される程、多くの視聴者が感じたこと。
そのBPOの討議の結果も、未だ全く納得できないものではあるが。
どの件をどのように訴えることにしたのかは、今の段階で明言されていないので、具体的な意見は控える。
それでも、裁判に持ち込まれないものも含めて、あの一連の報道のようなことは、もう二度と繰り返されてはならないと思う。
「負けても得」
何度も言いますが、
「過去の判例」
を、利用しているのです。
僕は、今回、
その判例を変えるために裁判をします。
とりあえず、視聴率、部数・・・。
それで苦しんできた方達、世間から消されてしまった方達が、どれほどいるでしょうか?
そのための裁判です。
このASKAさんの言葉の方がよっぽど「公益性」がある。
しかしこの裁判を取り上げるメディアはいるだろうか?
個人が世界中に発信できるようになった今、報道する側、受け取る側の両方が、意識を変える時がきているのだと思う。
自分の損得勘定からではない重い荷物を、敢えて背負って立つASKAさん。
私は支持し、応援していく。