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ASKAさんの本『700番 二巻 三巻』発売前に想うこと。

ASKA本『700番』

来月17日に、ASKAさんの本『700番 二巻 三巻』が、出版されることが分かった。

予定では、一巻、二巻の出版だったはずが、思わぬ大変な事態が起きたことで、三巻を急遽追加執筆する必要ができてしまった。

さすがに三巻全部となると、内容も値も負担の大きいものになる。それに加えて一巻はWeb上で既に公開されているということもあって、まずは「二巻 三巻」だけ、一冊の本として世の中に出るようだ。

今回の「逮捕、不起訴に纏わるASKAさん側からの真実」として、三巻の部分が多くの注目を集めることになるのだろう。

 

ひっそりと目立たないように出版して欲しい…、などという私の希望は絶対に叶わない展開となってしまった。

 

本の出版に関しては、ASKAさんのブログのコメント欄でも、今回の逮捕以前から意見は様々に分かれていた。

賛成、反対というだけで割り切れない、複雑な思いが絡み合ったそのどの意見も、ASKAさんを大切に想ってのものだ。

読む読まないは、個人的な話になるので、どう読むか、も含めて誰も口を挟むことはできないと思う。

ASKAさんの意志で発売が決まっている以上、私は一巻同様、ASKAさんの心遣いには反することになるが、かなり「シリアスに」読むつもりでいる。

 

本の出版、新しいアルバムの発売直前までこぎつけたことと、次のアルバムの制作など、具体的に活動が見えてきたことで気持ちの整理がついたのか、ASKAさん自身は本の中身に関しては、もう消化できているような印象を受けた。

そして、その余裕に安堵した。

 

『700番 一巻』で綴られていたように、

「やはり私は皆さんとの絆の中で、あったことを直接私の口から伝えることこそが絆だと感じました。」

「私は皆さんの前で、優しさに甘え、何もなかったかのような顔で再びパフォーマンスをすることはできません。」

というところが、一番出版にこだわった理由だろう。

例えそれが自身の活動にマイナスになったとしても、ASKAさんが明らかに出来得る全てのことを公にしてから、再出発なのだと。

 

その気持ちは受け止めたいし、無器用な真っ直ぐさには心を打たれる。

できるだけ好感度をあげようと、イメージ戦略をたてる風潮に反しての、偽りのない姿勢からは、例え「ASKAさんの言い分」のようにしか捉えられなかったとしても、「ASKAさんの人間性」だけは伝わるのではないか、と思う。

 

ただ、15日のASKAさんのブログ「レコード会社」のエントリー名で、大手CDショップでアルバムを販売してもらえるという話が、大手レコード会社と契約できたというように一部の人に勘違いされたように、「現代の人間の読解力なんてそんなもの」という思いもある。

自分も含めて、受け取る側にどれほどの理解力があるかということは、シリアスな内容だけに、不安ではある。

本、雑誌、ネットニュースも同じく、どのくらいの人が正しく理解しているかは、そう期待できるものではない。

情報は溢れ、ニュースそれ自体の信憑性すら疑わないといけないものばかりで、そうなると、本当に受け取らなければならない情報は、自分に密接したものに絞られてくる。

事件には関心があっても、ASKAさんの人間性を知っている人は少なく、間違った情報でもメディアを鵜呑みにしている人がまだ多くいる中で、広く世間に正しく伝える、ということは、とても難しいことのように思える。

 

私小説 (私は今のところそう捉えている) の出版は、ASKAさんやASKAさんのことを本当に理解したい人には、大きな意味がある。

でも、被害を受けた事実に対しては、やはり法的措置をとらないと、ぼやけて過去の中に埋もれてしまう。訴える側にも大きな負担がかかるので、そこは十分気をつけないといけないが、実際に残る真実としては、こちらの方が大きく意味を持つと思う。

その手続きの方は、専門家の方々が抜かりなく進めてくれていることだろう。

 

 

 

矛盾があるのが人間で、その矛盾を見せる人に人は惹かれる。

強くて弱い。

しっかりしていておっちょこちょい。

ポジティブでネガティブ。

 

ASKAさんが真摯であれば、一人また一人と少しずつ誤解は解けていく。

出版直後は、追い風にしろ向かい風にしろ、ASKAさんに強く吹きつけるだろう。

 

どんな冷たい風が吹いてこようと、それをエネルギー源にしていくしかない。

 

そこに暖かい陽射しがたくさん降り注ぐことで、「新しいエネルギー」を生み出せたら、もっといい。

 

 

真の解放に近づくために。