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ASKAさんの幸せ。

ASKAブログから考えること

「みなさんが、僕の歌を聴いてくれていることで、僕は幸せ。」
(ブログ aska_burnishstone's diary12月27日より)

新曲「FUKUOKA」をYouTubeで公開後、ASKAさんは確かに評価された、アーティストとしての自分を取り戻したのだろう。

歌い手として、久しぶりに感じた注目、絶賛、感動の声…。
ASKAさんもクリスマスには、曲の反響という、アーティストにとってはこの上ないプレゼントをしっかり受け取って、幸せな気分でいられたのだろうと思う。


ここまでの道のりは、どんなにか険しいものだっただろう。

到底想像は及ばないほどの…。


ASKAさんの音楽から与えられたそれぞれの想いを抱えた(ファンだけではない)多くの人たちも、今までもどかしい想いで見守っていたはずだ。

素晴らしい歌を創る人。

こんなところでくすぶってるのはもったいない。

全ては歌で乗り越えられる。

ブログに綴られる言葉、散文詩を貪るように読み、過去の楽曲を脳内で自動再生できるほどまでに聴きこみ、
一抹の不安を覚えながらも、ASKAさんの幸せを、願わくば、それが歌につながっていることを期待しながら、待ち続けた人もたくさんいることだろう。



私自身も前向きに音楽をやりたいという決意をブログで知らされてからは、音楽を続けることに賛成し、それを喜び、これから立ち向かっていかなくてはならないであろう困難を、乗り越えていってほしいと強く願っていた。

そのため、サイレントマジョリティーとして見守るのではなく、分かる範囲のことだけでも少しでも理解し、直接ブログのコメント欄を通して、私なりのエールを送り続けてきた。

言葉を選んで、選んで…。

例えわずかではあっても力を添えることができれば、と奢った考えではあるが、そうせずにはいられなかった。


けれど、逮捕の速報が飛び込み、ASKAさんの100%ないという言葉に安堵したのも束の間、結果やはり逮捕という驚愕の事実に向き合った時に、
「私たちの応援は実は彼の負担になっていたのではないだろうか、何も見てこなかったのではないだろうか」
と自問自答を繰り返した。

というのも、
逮捕の経緯が11月25日に盗聴被害(ASKAさんのブログによると、「apple のアカウントが、一週間で2回も書き換えられてしまいました。何度もこのような目に遭ってきました。もう、我慢ができません。警察のサイバー課の方を紹介してください。」という内容)を警察に訴えて、そこからの任意尿検査、陽性反応ということだったからだ。
その25日には、「いよいよ、Mixの最終日です。」というタイトルでブログ更新もされていたのに、だ。
そこには 、アルバムを皆さんと制作したという思いであること、ISRCコードを記録するのをうっかり忘れてしまっていたこと、早く聴いてもらいたいという気持ち、アルバム完成間際の高ぶる感情が綴られていて、まさかこの数時間後に警察に通報する程の苦しみを抱えているとは、想像もしていなかった。

何ということ…。
後悔先に立たず。

自分に都合の良いポジティブサクセスストーリーにASKAさんを重ね合わせ、ASKAさんの苦しみを分かろうとしていなかったのではないだろうか、と自責の念に駆られた。
自己満足の塊であったことに恥じ入った。

今までも、盗聴被害の話題が少しでも出ると、大部分のコメントは、そんなこと気にするな、それよりも音楽活動を待っている、といった内容で占められた。同じく盗聴被害を訴えるコメントがあっても、分からないものには何も言えない。
そういう事実がASKAさんを苦しめ、薬物使用に追い込んでいたのだとすれば、そこをスルーする手立てを探した方が良いという。即解決をみるには話が複雑すぎるのではないか。
何より、盗聴被害もいつの間にかなくなった、とブログで報告してくれていたのだから。
もう終わったこと、のように捉えているところがあった。

700番の出版についても、報道されたことはもう蒸し返さなくともよい、出版という形で同じ土俵に乗らなくてもいい、事実だけを粛々と反省し、ASKAさんは歌で勝負するのが一番の方法、などと表現は違えど、出版に反対し説得を試みるコメントも多く見受けられた。
私自身は出版には反対しないが、ひっそりとできるだけ地味な形で、一部の真実を知りたい人にだけしっかり伝わる形がとれれば理想だと思っていた。大きく取り上げられればまた、決めつけによる間違った解釈も増え、ASKAさんの音楽活動にとってはマイナスだろうと。
それでもASKAさんは音楽活動をする上でどうしても避けて通れないことなのだ、と説明していた。

どういうことなのだろう。

まだまだ分からないことばかりではあったのだが…。



全ては音楽で解決する。


そう信じるほど、ASKAさんの音楽には力がある。

優しいASKAさんはそういった反応を見て、その後は盗聴、出版については直に触れることはせず、静かに準備を進め、表面上は皆の喜ぶ音楽活動中心のブログ内容にしていったのかもしれない。

人々の反応を敏感に感じる質だから。


そう考えを巡らせ、
誰にも分かってもらえない、彼の苦しみはいかばかりのものだったかと想像し、胸がつまる想いだった。


公の場で、問題の核心を不特定多数に伝えることは難しい。
それを分かっていてのブログだったのだろうから、仕方のないことでもある。


それでもどこかに霧の晴れる方法はないのか、一人勝手に案じていた。


そして12月27日の更新されたブログ。
また一人で全てを背負おうとしているASKAさんを見たような気がして、優しさに感涙すると同時に寂しさも覚えた。

一人で抱えこまないで。


「少し気になっていること」の中に
僕を庇ってくれなくていいという言葉が2度出てきている。

ASKAさんのことを擁護したいあまり、多少行き過ぎた手段や表現があったのだろうか。


言葉に優しさが宿っていれば、それを感じたとき自然に扉は開く。

だから庇わなくていい。



ASKAさんはきっとそう言うと思っていた。

予想できていた優しさ。

きっと性善説を基本に人と接している。
いつまでもどこまでも人を信じている。
愛を持って接すればいつか伝わる。
ここまでの経験をされてもなお、そこは変わっていない。

『ASKAさんは真の芸術家』
やはり、そうなんだろう。


でも今回の逮捕に関する報道は、その無防備で優しいASKAさんを、マスメディアは好き放題いたぶっているようにしか見えなかった。
この人は言い返せない、言い返してこないのが分かっているから、どんどんエスカレートしていく。
まるで公開集団イジメを見ているようで気分が悪く、優しさがこんな風に扱われることに激しく胸が痛んだ。
ファンだけでなく、イジメショーを見せられた、ASKAさんのことをそんなに知らない一般人にまで疑念が及んでいた。何かおかしい、違和感を感じざるを得ない報道。

対してASKAさんは、自宅前に集まった報道陣にもみくちゃにされながらも、身に覚えのない罪で逮捕されるかもしれないという、そんな時にまで礼儀正しさを忘れず、あくまで冷静な態度だった。

私だったら我を忘れて取り乱してしまっただろう。

ASKAさんはASKAさんのやり方で抗議し、対処していくだろう。例え不器用な方法であったとしても。
そこに、私は何も口を挟むことはない。

ただ、今回の報道をきっかけとして、、事実を伝えるのみならず、決めつけや偏見、慎重さの足りない発言を公にすることで人の心をいとも簡単に操作する、その怖さを真剣に考えていかなくてはならないと思う。社会問題として捉えないといけない側面がある。

報道する側も、受け取る側も。



今、
ASKAさんはアルバムを完成させることに精力を注いでいて、音楽を続けられること、まずは「FUKUOKA」を届けられたことに幸せを感じているのだろう。

ASKAさんはそれでいい。

真の芸術家だから。

孤独も引き受けるしかないのかもしれない。


でもだからこそ、彼の芸術活動は守られなくてはいけない。

庇ってくれなくていい、という人を、はい、そうですかと放っておくわけにはいかない。

大きな苦しみを抱えていること。

それは理解していきたい。

そのうえで、ASKAさんの歌を聴いていく。


今日も「FUKUOKA」はどこまでも優しく、生きる力を与えてくれる。


どんな時でも優しさを持ち続ける強さを与えてくれる。

優しさを持ち続けていれば、

いつか分かり合える。


人の愛を

私も信じている。