「DADAレーベル」を応援する!!
まったく、ASKAさんにはわくわくさせられっぱなしだ。
5月6日
ここにきて、キャリア組、そして若いアーティストから、
「DADAレーベルで、リリースさせて欲しい。」
と、いうお話を、たくさんいただきます。
現在、纏まりかけているお話もあります。
「DADA」は、レコード会社ではありませんので、そのリリースしたアーティストから、利益を得るという会社ではありません。
アーティスト、ひとりひとりが「個人商店」です。
この意味に早く気がついて欲しいと思っています。
「DADA」は、共同体です。
「DADAレーベル」 - aska_burnishstone’s diary
こういった「個人商店」が「DADAレーベル」に集まってきたら…、
商店主 (アーティスト) にとっても、客 (聴き手) にとっても、とっても幸せなことではないか!!
ASKAさんが「DADAレーベル」で、これまで以上に自由にその才能を発揮して「やりたいことをやる、やりたいように」を叶えていく。
それだけでも相当喜ばしいことだけど、志を同じくする真のアーティストたちで「共同体」を成す。
「個人商店」が一軒で孤軍奮闘するよりも、商店街のような「共同体」であることで、より強く魅力的な光を放つようになるだろう。
5月2日
音楽業界は「権利ビジネス」という名に侵され、本来、楽曲を製作したアーティストに還元されるべきものまで、他が侵食してます。今、本来の形に戻さねば、やがてアーティスト (ミュージシャン) は居なくなるでしょう。
5回、やり直しました。 - aska_burnishstone’s diary
業界のことは詳しく分からなくても、「やがてアーティストは居なくなる」という一文は、そ、それは困る、という危機感を私たち聴き手側にも持たせた。
アーティストが居なくなるということは、心に響く素晴らしい音楽が生まれなくなるということ。
音楽のない人生なんて…。
かねてから、ASKAさんが危機感を抱いていたことが (少なくとも1991年には、ミュージシャンの著作権を守らなくてはいけない、とラジオで発言している)、去年「DADAレーベル」を立ち上げたことによって、具体的な対策を取れるようになったということだろうか。
言われているように、「著作者の権利は著作者にある」べきで、権利ビジネスに侵されることなく、できるだけ多く楽曲を制作したアーティストに還元されるべきだ。
もちろん聴き手にとっても、本来アーティストが表現したいものを追求して欲しいし、それを聴きたいんだ、という願いはある。
著作権の問題は著作隣接権も含めて、作品毎にケースも違い複雑なので、ASKAさんの事情もなんとなくしか私には分からない。
だけど、『Too many people』は、発売、配信されているにも関わらず、過去のASKAさんやCHAGE and ASKAの CDやDVDが今世の中に出回っていないことも、そういった権利をレコード会社、事務所が持っていることが原因だろう。
その会社のコンプライアンスに引っかかるということで、販売停止状態なのだから。
そのために、昔リリースされたCDは、買いたくても買えない、聴きたくても聴けない、という現状なのではないか。執行猶予期間明けになるのだろうか、とにかく各社の判断が、音楽を純粋に聴きたい人に沿ったものであることを願うばかりだ。
そもそも、ASKAさんが罪を犯したからといって、その作品が販売停止になるというのは意味が分からなかった。
作品を聴く自由すら奪われるのは、理不尽なことに思える。
聴き手は、メジャーレコード会社のレーベル所属のアーティストの中から選んで聴かなければならない、そんな窮屈ささえ覚える。
音楽業界だけに限らず、受け取り手の嗜好はプロモーションに操られている部分が大きい。
仕掛けられた流行にのり、アーティストもその仕掛けに選ばれた一部の人だけが日の目を見る。
そして、例え彼らの創った楽曲が広く知られたとしても、楽曲の権利は創った本人のものではない。
おかしくない?と思うけど、それが今までの常識で、アーティストはその分製造や流通、プロモーションなどは所属レコード会社、レーベル、事務所に任せていられたのだけど、引き換えに作品に関する自由は奪われる。
「DADAレーベル」はそういった、
社会における「通常の概念」や「つまらない常識」に身の丈を合わせることなく、全てを自由の基に、そして発想の基に生きてゆくという思想です。
去年、お話したこと。 - aska_burnishstone’s diary
として、歩き始めたということなのではないだろうか。
新しいことをやる時は、必ず行く手を阻まれる。
『700番 第一巻』の「はじめに」にも詳しく書いてあるが、そこを勇気を持って踏み出して初めて、革新、創造が生まれる。
また、インターネットが普及した現代では、個人発信のハードルが、ぐっと下がっていることは大きな強みだ。
ASKAさんのブログでの情報、YouTubeでのMV、これらインターネット上の発表だけが、今回のアルバム『Too many people』のプロモーションと言えばプロモーションになる。
ASKAさんはファンも多く、知名度が高いことが手伝ったには違いないけど、新しいファンもどんどん増えているのは、インターネットという媒体を通して情報を得、音楽を聴けたことが大きいだろう。
ASKAさんがリリースにおいて全責任を負うといった「DADAレーベル」を立ち上げたと知った時、なるほどそういうことだったか、という思いと同時に、それって具体的には?という疑問も少なからずあった。
それがだんだん形として見えてきた今、ASKAさんの強い信念とその行動力にさらに期待が高まる。
YouTube の説明文にも明記してある、
この楽曲の、全ての権利は「burnish stone」「DADAレーベル」にあります。
とは、ASKAさんにとって、アーティストにとって、とても重要な意味を持つ。
不可能と思われていたことを可能にしていく、アーティストにとっても、聴き手にとっても、希望いっぱいの「DADAレーベル」
『Too many people』のリリースで、品番表記「DDLB-0001」と記念すべき第一歩を踏み出した。
誇らしく、愛おしい、
その歩みを、全力で応援したい。
ASKA MV「しゃぼん」を観たら。
顔を手で覆う、うつむく、正面を見据える、目を閉じる。
画面からはみ出すASKAさんの顔、手の表情、シンプルなライティング。
それだけで、こんなにも心に迫ってくるなんて。
「いま幸せですか 苦しいですか
何度も自分に問いかけてみる 投げる」
ど直球の歌詞を前に、ただただ圧倒され、息を呑む。
切なさに胸が締めつけられる。
「しゃぼん」は、心に訴えかけてくるものが強すぎて、時をよく選んでではないと聴けない曲だ。
そのため、アルバムの中では一番聴く回数も少ない。
だけど一旦その世界に浸ると、一番深い音で精神の奥深くに響き、いつまでも残っている。
「僕の愛に嘘はあるかい 心を守る景色はあるかい
君の側に歌はあるかい きらきらとしてるかい」
自分を見つめて、目を逸らしたくなるところをまた向き合って。
本当の幸せに辿り着くためには、避けて通れない苦しみ。
その険しい道を通らずに選んだ居心地の良い場所は、実はもろい地盤の上にある。
そんなことを考えさせられる。
5月2日
細かい注文に、面倒くさがることなく、愛情で付き合ってくれました。
ASKAバンド、メイク、スタイリストもそうでした。
「ギャラなんて、どうでもいいです。」
一生涯の仲間です。
5回、やり直しました。 - aska_burnishstone’s diary
今日のASKAさんのブログでの言葉に、大きくうなずいた。
愛情だけではなく、ASKAさんと深く関わる人たちは、魂のレベルで響き合って、その作品を創り上げているとしか思えない。
そこに損得勘定は働くはずもなく、尊い使命を果たすために夢中である、それだけなのではないか。
そう、そういうことなんだ。
レベルは随分違うけど、私もこういう精神で、生きていきたいのだ。
なぜ、ASKAさんの音楽に、ASKAさんにこうも惹きつけられるのか。
ブログを通して、喜び、悲しみ、思い出、日常、信念を伝えてもらえることで、少しずつはっきり見えてくる。
目を逸らしかけていた、大事な事に気付かされる。
YouTube での紹介文。
「人の世は我を何とも言わば言え 我成すことは我のみぞ知る」
今、僕に必要なのは、この信念です。
昨年、アルバム制作に精力を注ぐASKAさんから、幾度も思い浮かんだ言葉 (句) でもあった。
11月3日
言えることは、
石を投げれば、平たい水面は必ず変化する
それが、「吉」なのか「凶」なのか、
これもまたわかりません。
「吉」でも「凶」でも、
ひとつの景色が現れます。
何もしないと、何も生まれません。
僕の小石は歌です。
どんな水しぶきを上げるのか。
これまでは、投げ込んだ時の音で、歩く人を振り向かせていたように思います。
今は、投げ込む姿から見てくれている人たちがいる。
これが、僕のブログのあり方のように思えてきました。
福岡から、今戻りました。 - aska_burnishstone’s diary
この日のブログから更新がしばらく途絶えていたとき、強い向かい風にもめげず、石を投げ込もうとしているASKAさんを想って、コメントにもこう書いた。
「【世の人は我を何とも言わば言え 我成すことは我のみぞ知る 坂本龍馬】
今のASKAさんの心境かもしれないなぁ。
信じる道を一歩ずつでも進んでいく、その姿が必ず人の心を動かすだろう。そう思う。
行き詰まった時には、【疲れちょると思案がどうしても滅入る よう寝足ると猛然と自信が湧く 坂本龍馬】
こんな言葉も思い出して欲しいな」(11月14日)
後で、ASKAさんが昔から好きな言葉だったということを知ったのだけど、きっと今でも変わっていないはず、と思える程、ASKAさんに重なって見えていた。
そしてやはり、時を経ても揺るがないASKAさんの信念が「しゃぼん」の MV 全体に表れていた。
周りの忠告や批判を気にしてばかりでは、本当に自分の表現したいことがぼやけ、達成することができない。
自分を真っ直ぐ見つめる苦しい作業をした上で言えることではあるけど、表現者だけではなく、人としても当てはまるところがあるように思う。
画面には到底収まりきらない、ASKAさんの世界。
枠からはみ出してもいいんだ、
むしろはみ出した部分を大切にしていこう。
「しゃぼん」のMVからは、そういうメッセージが伝わってくる。
ASKA MV「と、いう話さ」を観たら。
YouTube「と、いう話さ」より
あと一回、あと一回だけ。
そう言い聞かせながら、ギリギリの時間まで観てしまい、挙句、にちじょーをフルスピードでこなす日々が始まった。
あ〜、もぅ一回観たい!
い、急げー!
うわっ、もうこんな時間!
とバタバタしつつも、心からのにやにやが止まらない。
あの夜から "YouTube” のアイコンの赤い色が、蛍光色にでも変わったのかと思うぐらいの眩しさで目に入ってくるようになった。
6分5秒の間、ぐいぐい 、ぐるぐる 惹き込まれる ASKA Rock の世界。
照明の薄暗さ、ASKAバンドの迫力は、どうしたってライブハウスを想い起こさせ、MVとしてこれ以上ない贅沢な映像に興奮を抑えられない。
スポットライトの中ではなく、暗闇の中に時折浮かび上がるASKAさん、ASKAバンドの姿が悶えるほどにカッコイイ。
今のASKAさんがライブで歌う姿を、
どれだけ、どれだけ、
切望したか分からない。
そして、この時を待ち焦がれていたのは私だけではないことは、うなぎのぼりに増えていくYouTube の再生回数からも分かる。
みんな、待ってたんだな ...
時間の長さだけではない、暗く冷たい洞窟の中にいるような日々、止まずに聞こえていたのは彼らの声援。
そのみんなと、そしてこのMVをきっかけにASKAさんの音楽を聴き始める人たちと、この時を共有できている現実に目頭が熱くなる。
ASKAさんが確かにそこにいて、歌っている!
「と、いう話さ」は、CDで聴いた時から繰り返し聴きたくなる衝動に駆られていたけど、このMVの映像ではその中毒性がさらに増す。
YouTube においてフルで公開、しかもASKAバンドと!
発売と同時にアルバムを聴き込んでいた層にとっては欲しくてたまらなかった画、まだアルバムを聴いていない層にとっては、まずは観てみようかと思えるチャンス。
好きな音楽があるだけで、心の向きは随分変わるのだ。
「と、いう話さ」というタイトルがまた秀逸。
まさかこんなRockだとは!という意外性にも驚いたけど、こんな気の利いたフレーズはないんじゃないかと思うほど使いやすい。
ここでは、深い闇の中で見つめた景色の重さをすっと軽くする効果があるように思う。
ラストでやや吐き捨てるように歌う (ように見える)「と、いう話さっ」が、たまらなく好きだ。
ただこれを観てしまうと、ついついライブバージョンを聴きたいという欲が出てしまう。
曲が進むにしたがって、ボルテージが上がっていくのが画面を通して伝わってきて、生の迫力を想像してしまうのだから仕方ない。
臨場感あふれるカメラワークも、ところどころ、もうちょっとはっきり観たいっと焦らされる感じが憎い。
だけどラストのこのカットやそれに続くASKAさんのシルエットもそうだけど、魅せられ所も細かく本当に細かくたくさんあって、
そして、
もう一回観たくなる。
4月28日
PV「と、いう話さ」みなさんに気に入ってもらってよかったです。
次のPVのことで、ちょっとバタバタしておりましたので、状況を把握しておりませんでした。
(中略)
次のPV公開は、5月下旬を考えておりましたが、思うところがありまして、数日後、5月の頭にシフトチェンジしました。
今、本当に身軽です。
ありがとう。
お⤴️っはよーございます。 - aska_burnishstone’s diary
発表後、反応を確かめる暇もなく、さっそく次の「作品」に取りかかっていたというASKAさん。
てっきり、みんなの反応ににんまりしているだろうと思っていたけど、キリリッとひたすら前進している様子に、さすが!それでこそ、勢いのあるASKAさんなのだと頼もしく感じる。
気に入ったどころではない、大大大絶賛、歓喜の声は、YouTube、ブログのコメント欄、Twitterなどに溢れている。
そういった声がさらにASKAさんのエネルギーになるのなら、供給庫はぎっしりだ。
決断、即実行できる環境が、ASKAさんにとっては必要だったんだろうな、と思う。
今の状況で身軽さを感じているということは、解放 = 幸せ に近づいているということなんじゃないだろうか。
そうであれば、こんなに喜ばしいことはない。
YouTube 再生回数はすでに30万回を超えた(301,475回 4月30日16時55分時点)。
今日のASKAさんのカバンには、新しいPVが入っているらしい。
9番搭乗口。 - aska_burnishstone’s diary
にちじょーが、どんどんASKAさんの今の音楽で占められていく幸せ。
こちらこそ、ありがとう
なのです。
「と、いう話さ 」から始まった。
キ、キターーーーーーーーーーーーッ!!!
歌うASKA、Rock なASKA、
ミュージシャンASKA。
超絶にカッコイイASKAがそこにいる!!!!!
YouTube「と、いう話さ」ASKA より
3月27日
今の僕だから、できることです。
思う存分、やらせていただきたく思います。
やりたいことを、やりたいように。
こんばんは。 - aska_burnishstone’s diary
「作品」として、アルバム『Too many people』13曲のシングルを形にする。
昨日は、いよいよそれが発表されるかもしれないということで、1日中ソワソワ、ドキドキしながら過ごした。
期待どおり、日付けの変わる頃にブログが更新。
今、本来の形に戻さねば、やがてアーティスト (ミュージシャン) は居なくなるでしょう。
(中略)
アーティストが革新を抱くのは「今」しか、ありません。
と、いう話さ - aska_burnishstone’s diary
ASKAさんの言葉に続く、YouTube の MV は、私の心にズドンズドンと響き、
呼吸をすることすら忘れて見入ってしまうほど、衝撃的だった。
「もう凄いよ、この人たち... 」
言葉もなく、ただただ圧倒される。
間奏に入り、円になってギター、ベースをかき鳴らす画に、心は痙攣しそうなほど打ち震え、
続くASKAさんの「Ah~ Ah~ Ah~ Ah~」と歌う姿では、もう堪えきれず、涙が溢れ出てくる。
音楽に命をかける真のアーティストたち。
その覚悟の一歩に立ち会っていることに、心底感動し、感謝の想いで胸がいっぱいになる。
「やってくれるなぁ」
ASKAさんは、自身の過ちに伴ってできてしまった障壁、不自由さを逆手に取って、
本来アーティストとしてあるべき、自由な活動をしようとしている。
ASKAさんの熱く燃え続ける音楽への情熱が、一体どう表現されるのか。
一番の関心はやはりずっとそこにあったのだが、
まさに、理想としていた「ミュージシャンASKA」のあり方ではないか。
「DADAレーベル」で叶えていくであろう、その本気の歩みは、音楽のあり方を、ひいては世の中を変えていく勢いを感じるものだ。
心を、人生を、より豊かなものにしてくれる音楽に、ミュージシャンに、
最上級の敬意を払いつつ、彼らの奏でる音楽を共にずっと感じていきたい。
ASKAさんが動くとき。
有言実行。
ASKAさんを見ていると、つくづくそう思う。
たくさんの人たちが、道具を使って、小石を動かすような振りをしてるけど、
水面からでは、決してできないこと。
声を上げて、空の顔をして、
景色の主役のようになって、僕を庇ってくれなくてもいい。
少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary
12月27日にASKAさんのこのエントリーを読んだ時は、少なからずショックを受けた。
人間不信に陥ってもおかしくはない異常な報道。
それに憤りを感じた、多くの人たちの感情をも納得させる、到底真似のできない、優しさの滲み出る表現の一つ一つ。
本当にどこまでお人好しなんだろう、優しすぎるではないか、と。
同時に、ASKAさんに関する大部分の報道には、どうしても見過ごすことができない面があり、そうは言ってもこれはASKAさん1人の問題ではなく、社会全体の問題でもあるのだから、考えないわけにはいかないとも思った。
※ 11月以降のマスメディアの報道については、このブログでも、ほぼリアルタイムで取り上げているので、興味のある方はエントリー名の下、カテゴリー「ASKA マスメディア報道」をクリックして読んでみてください。
ただ悲しい、しょうがないと嘆くのではなく、時には大きくはっきり声をあげることも大切だ。
現に今も、ASKAさんの言葉に真実味を持たせないように、との意図を感じる記事ばかりが書かれている。
大人しい人には、やりたい放題。
ASKAさんの件だけではなく、
世の中に対するメディアの役割とは一体何なんだろう、と考えさせられるような報道が最近多い。
一視聴者、読者としても、メディアへの不信感は増す一方だ。
だからこそ、なのか12月29日には、
僕は、今、しっかりとした法的な手続きを取っていますので、
どうか見守っていてください。
身勝手なメディアの行動、興味をそそるだけの報道に目を瞑ることはいたしません。
責任は取っていただきます。
迷いはありません。 - aska_burnishstone’s diary
と、明確にASKAさんの姿勢を示してくれた。
声のあげ方が単なる「いじめ」にならないよう、どうしても譲れない、また確実に正せる件に冷静に対処する。
ASKAさんにかかる負担を考えると、無理強いはしたくないけど、当然必要なことであると思った。
4月23日には、
今日は、夕方から3人の弁護士と最終に近い打ち合わせをいたします。
(中略)
この四つの案件に関しては、僕個人だけの問題ではありません。
僕が黙っていると、また同じようなことが繰り返されるでしょう。
僕個人の問題ではないのです。
密談。 - aska_burnishstone’s diary
と、ついに、法的措置をとる最終段階にきていることを知らせてくれた。
この3つのエントリーを読んで、マスコミ関係者、特にASKAさんを積極的に取り上げてきた人たちは何も感じないのだろうか。
人間として、大切なものを思い出させてくれるようで、何度も読み返したくなる、
それこそ「優しさの宿っている」言葉たち。
『700番/第一巻』の「週刊文春」の章や『700番 /第二巻 第三巻』の「三巻」には、ASKAさんから見た当時の状況が綴られている。
テレビや雑誌での報道と比べてみると、信憑性が高いのはどちらだろうか。
妄想を並べているのは、どちらだろうか。
ASKAさんが例え本を出版していなかったとしても、
昨年の逮捕時の報道は、思わず「はぁ?」と声を出してしまうほど、目を耳を疑う信じがたいものだった。
起訴、不起訴以前の問題だが、不起訴になった後も、そう大きな改善は見られていない。
マスコミの体質を改善するためには、ショック療法が必要なのだろう。
ASKAさんの行動の底辺には、大きな優しさがある。その優しさは勇気となり、ASKAさんの歩みとなっているのだと思う。
そして、音楽に対する情熱を失うどころか、それが真っ直ぐ人々の心に届くため、純粋に精力的に音楽活動に取り込んでいることは、
アルバム『Too many people』、5月にはその配信開始と台湾でのリリース、今日、明日にでも発表されるという「作品」などからも強く感じとれる。
例えギターが割れたって 鳴らしてみる空へ
それでいいんだ今は
伸びやかに歌い続けながら、
大切なものを守ろうとするASKAさんの姿勢からは、
世の中を変える「力」と、大きな「愛」をいっぱいに感じる。
ASKAさんの笑顔 !!!!!
こ、これを待っていたー!!!
ASKAさん、ASKAバンドの皆さん(澤近さん、古川さん、鈴川さん、江口さん、荻原さん)の、
笑顔
が、嬉しーーーーーーーーーーーいっ!!!
そこは倉庫でした。 - aska_burnishstone’s diary
これは、
夢
じゃないよね。
画像を拡大しようとするけど、手が震える。
やっと大画面にしたのに、涙でぼやけてよく見えない。
嬉しい、嬉し過ぎる。
ずっとずっと見たかった。
もうこのショットは、
永久保存版!!!
雰囲気が楽しそうで、リラックスしていて、温かくって、イイなぁ。
最高!!!
涙で曇ってぼんやりとしか見えないけど、笑顔のASKAさんが着ている黒のトレンチコートは、「YAH YAH YAH 」を思い起こさせる。
この「作品」では、ボタン全開で向かい風が吹いているに違いない!
まさか、まさか。
でも想像したら、ゾクゾクッ、
ひゃーっと悲鳴をあげてしまった。
落ち着かなくって、スマホを見つめながら、部屋の中をぐるぐる歩き回る。
澤近泰輔さんもすかさずツイートしてくれていた!!!
ん?
なんか写真が届いた音がしたぞ!
https://twitter.com/36ebony52ivory/status/855466719980146688?s=09
みんなの喜びのコメントが、あちこちできらきら弾けている。
頭の中ではもう、
ASKAさんが「ライブ」で歌っている。
そこは倉庫でした。
という、そこでいつか、
「全世界(同時)ライブ生配信」も実現して欲しい。
とにかく、25、26日あたりにあるという報告をドキドキ、楽しみに待っています。
どんな「作品」なんだろう。
あの笑顔で、あと数ヶ月は十分幸せに生きていけそうなのに、約3日後って。
ねぇ、
心はどうやって準備したらいいの?
なんて幸せな悩みなんだ。
仲間と音楽をできることが、
嬉しくて嬉しくて仕方ない。
こんな笑顔を見ることができるなんて。
本当に、本当に、幸せだ。
ありがとう。
ASKAさんの本『700番 第一巻』を読んで。
発売から約一ヶ月。
ASKAさんの『700番 第一巻』を、やっと最初から最後まで通して読むことができた。
3月に出版されたと同時に、加筆修正部分を中心にざっと目を通してはいたけど、その後はなかなかじっくりと向き合うことができなかった。
理由として、
2016年1月にWeb上にブログ版『700番』が公開されてから7月にASKAさんのブログが始まるまで、いや始まってからも、何度も読み返していたということ。
2月22日に発売された New アルバム『Too many people』に、すっかり心と時間を奪われていたということ。
3月は、ASKAさんがたくさんブログを更新してくれ、気持ちが「今」を向いていたということ。
などが挙げられるけど、
一番大きかったのは、以前読んだ時の心の重苦しさが、1行読む毎、1ページめくる毎に蘇ってきて、自分の自覚していた以上の痛みを感じたことだと思う。
何が起こっていたのか、ASKAさんはどんな思いだったのか、今何を思うのか。
例え辛い現実を知ることになっても、ASKAさんが公表する意志を持っている以上、読みたい、理解したいとはずっと思っていたことだった。
※『700番』に関する想いを綴った過去ブログ。興味のある方は緑色のタイトルをクリックしてどうぞ。
1月3日
ASKAさんの 本『700番』の出版について想うこと。 - dyko’s diary
1月19日
ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』発売前に想うこと。 - dyko’s diary
2月20日
ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』を読む前に考えたこと。 - dyko’s diary
2月21日
メディアによる報道、特にASKAさんの件に関しては、信頼に足る情報ではないことは分かっていたけど、
私にとってはASKAさんの綴るASKAさんの真実の方が、ある意味、重く心に響いた。
「デタラメでしょ」とあしらう訳にいかない紛れもないASKAさんの真実は、
雑誌記者が考えたストーリーとは全く別の、複雑で深刻な側面を抱えていた。
その後、アルバムの制作過程や、ASKAさんの様子を直にブログで知るうちに、
『700番 第一巻』の内容の重さは、徐々に軽くなってきてはいた。
ただ、
昨年11月の逮捕、不起訴の経緯、
『700番 第二巻/第三巻』の出版を経て、
もともとの使命がより分かりやすくなった上に、新たな使命も背負ったように思えた。
読了してしまうと、
ブログ版『700番』を読んだ時とは、印象が大きく変わって心に残った。
事実の重さに負けない、ASKAさんの強さがまず、
「はじめに」と、それに続く散文詩「本の中で」から伝わってくる。
その上で、よくぞここまでと思うほど誠実で、細かい状況、心理描写。
ちょっとした勘違い、偶然の出会い、人を思う優しさが、次々とASKAさんを底なし沼へ誘うかのように、絡まってきたのだということがよく分かった。
ASKAさんも書いているように、全ては繋がっていて、どれも切り離すことはできない。
厳然たる事実に裏打ちされた、ASKAさんの真実は、確実に説得力を増していた。
それは、
7月から始まったブログ、
2月に出版された『700番 第二巻/第三巻』、
アルバム『Too many people』、
ASKAさんの今、
全て通して見てみることで、
さらにはっきりとした景色となって届く。
ASKAさんの通った道は、稀有な側面もある一方で、実は似たようなことは私たちのごく身近にも起こり得る。
そういったことから、
- 覚せい剤、MDMAなどの違法薬物
- 逮捕、起訴、不起訴、そして冤罪
- メディアの有り様、あり方、受け取り方
- ネット社会での問題、盗聴盗撮、のっとりやストーカー行為
などを、一人一人がひとつひとつの事柄を固定観念や偏見を捨て、調べたり掘り下げて考え、理解を深めることも、この本の役割の一つであるように思う。
そして、
ASKAさんが「はじめに」で、
この本を【作品】と位置付けている、
とするその意味は、
伝えたいものがはっきりある、
ということなのではないだろうか。
3月22日
楽曲は「何が言いたいか」「何を表現したいか」「何を、どう伝えたいか」・・・。
それだけです。
作品と呼べるものは、たとえ種類が違っても、表現したいことは同じです。
(中略)
明日を見据えた人間は、本当に強い。
明日を糧に明日を見る。
作品とは、そうありたいものです。
ただ今、熊本から帰って参りました。 - aska_burnishstone’s diary
『700番』は全巻を通して、ASKAさんの「作品」なのだ。
続きとして、『700番 第四巻』が書かれる日も来るかもしれないという思いもあるけど、それは是非とも解決を含んだ内容であって欲しい。
時として自分の力だけでは動かせない「結果」は受け入れないといけないけど、その結果に至る「過程」にこそ、その人らしさ、真の姿が表れる。
過程は注目されることもなく、見せないようにすれば見えないけど、
晒さなければならない運命だったかのような、ASKAさんの「過程」を知れば知るほど、ASKAさんとASKAさんの「作品」の偉大さに気付かされる。
私はこの『700番』が、その真の価値を広く認知されるのには、もう少し時間がかかると思っている。
それでも、ASKAさんが人々の心に音楽を届け続けることが、やはり一番説得力のある姿でもあり、大きな希望だ。
明日を見据えているASKAさんに
必ず陽は昇る。