クールでシュールでキュートな、ASKAさんのブログ。

昨年7月の更新を思い出す。

散文詩、昔のエピソード、笑えるネタ等々を織り交ぜて、一日に3度も4度も5度も!UPされていたっけ。

 

嬉しかったけど、始めの頃は戸惑いもあって。

ASKAさんの巧みな文話術に引き込まれて、素直にエントリー内容を受け止めたり、楽しんだりする自分と、

それはそうと今のASKAさんの心身の状態や、取り巻く環境はどうなっているんだろうと具体的な部分に疑問を持つ自分。

 

なかなか、気軽な気持ちではコメントできなかったな。

 

1ヶ月限定のブログが終わる一週間前ぐらいで、

ようやっとポツポツ言葉を綴りはじめた。

応援している想いをこうやって直接伝えることなんて、もう2度とできない、

そう思って。

 

それがそれが、

 

応援する気持ちは変わらないものの、

あの頃の躊躇いは、今や大きな期待に変わり、ASKAさんのお話だけではなく、ファンの皆さんの優しいツッコミや、可愛らしい反応、妄想にまでも、くすくす笑って楽しませてもらっている。

 

そんなASKAさんの発する、パワー溢れる強烈なエネルギーに引っ張られて、 

ここ最近の頻繁な更新、バラエティ豊かな内容にも、ずいぶんリラックスしていられる。

 

とはいえ、 

ネットストーカーの問題は片付いていない、

マスコミはASKAさんのブログの"下手な”引用を続けている、

ASKAさんは執行猶予中、と

 

まだまだ、完全に音楽のみに集中できる状態ではないのも現実。

 

それでも、縁が円になり、それが何色も混ざりあいながらも、いい色合いを放っているように思う。

 

暖かくて優しい、そして強い光を伴って。

 

その光の中で、喜ばしいお話に出会うと、

何万、何十万のファンの大歓声が同時に聞こえてくる。

 

昨日3月30日の「じょーじゃんじゃないよ。」で語られた寅ちゃんのエピソード。

 

ん?、

 

もしかして、もしかして?

 

とふわふわした気分に包まれているところに、

 

今日3月31日 。

僕は、よくよく思えば、この人生、 「16」「36」「52」「56」 に縁があります。

そう言えば、僕の良く知る人物の誕生日が

「1-6」ですね。

こういうのって、あるんでしょうね。

競艇。 - aska_burnishstone’s diary

 

このくだり。

 

・『Too many people』 試聴回数 1位。

・カラオケ配信。

・amazon レビューの1000件超え。

    (現在は1049件。内5つ星は1011件!)

・宮﨑薫さんの評価と紹介。

・アジアでのアルバムリリース。

 

などなど、

うわぁー、うわぁーと歓声と拍手の続く中の、

 

この一言に、

 

 

嬉し涙がこぼれた。

 

 

いい予感しか、

 

 

しない。

 

 

 

シリアスな矢から、わくわくする矢まで、まだまだたくさんの矢を放ちそうな雰囲気を持たせつつ、

どかんと1発、ハートのついた矢が放たれたかのよう。

 

 

 

「16」「36」「52」「56」

ASKAさんが縁のあるというこの数字の中に、

自分も関係する数字はないか、必死に探している人も多いのではないかな。

 

はい。

私もなんか見たことのある数字だぞ、

と必死に探しました (笑)。

 

こんなに強い縁を感じるのだから、

どこかに自分の数字もあるはずだ、と。

 

 

あった、あった!!

 

 

「36」は、生年月日の1桁の数字を全て足した合計だ!!!

 

って、ちょっと苦しいかな?

 

でも、まだまだ見つけられるような気がする(強引にでも)。

 

 

「閉店。」 「競艇。」「スナック。」

切なくもあたたかい、

ASKA青春三部作 ~親戚に連れられて行った場所 編~(仮題)

で締めくくられたASKAさんのブログ。

 

 

 

4月が待ち遠しくなる、

 

なんともしあわせな年度終わり。

 

 

 

ASKAさんのブログがもう。

ここ最近、予想のつくような、つかないような、独特のメロディーラインをなぞって、

まるで歌を歌うように更新されている。

 

広告のないシンプルなブログのページは、純粋に読むことだけに集中できて、連なる言葉たちだけでどんな色にも変わっていく。

 

一気に気分が高揚したかと思えば、ふと立ち止まって考えに浸ったり。

白いページに綴られた画面越しの文字、

それだけなのに、喜怒哀楽以上の様々な感情が湧いてくる。

 

夏、秋、冬とASKAブログと共に季節を越えて、もう本格的な春を迎えようとしている今、

自分がこんな気分になっているとは、まったく予想していなかった。

 

1年にも満たない間だけど、ハラハラ、ドキドキ、ウキウキと感情が忙しい!

 

ASKAさんの近況や他のファンの気持ちが分からなかった時は、

ファンが例え自分一人だったとしても、これからのASKAさんを応援していく。

 

そう本気で思っていた。

 

でもブログが始まって、たくさん寄せられるコメントを読むうちに、

同じような想いの人がたくさんいたことに気付き、その存在をとても心強く感じた。

 

熱い血の通う、奇跡のブログ。

 

 『700番』、アルバムの発売後、

ブログの形態はどう変わっていくのだろう。

ASKAさんの歌と同じように、ASKAさんのブログが今では生活の一部となってしまっている一人として、

不安と期待が入り混じった微妙な想いを抱いていた。

 

四月からは、またアルバム制作などで忙しくなる、ということなので、更新頻度も減ることは確実だろう。

 

でもブログは継続され、時々は報告もあるらしいので、心の底からホッとしている。

 

同じ待つにしても、昨年の9月とはまた違い、かなり安定した心で過ごせそうだ。

なんといっても『Too many people』が、すぐ傍らにあるのだから。

 

 

アクセス数が10万程度あれば幸せなことだと、7月18日に始められたASKAさんのブログ。

それが、7月23日には200万回近くに達し、8月3日には500万回を超え、4ヶ月後の11月18日にはおよそ1,400万回。

逮捕、釈放を経た1月8日には、テレビ報道にASKAさんの逮捕直前のブログ更新が取り上げられたこともあって、4ヶ月間でも有り得ないと言われた1,400万回アクセスの倍以上を、およそ50日間で稼ぎ、総アクセス数は3,000万回に届く程となった。

ASKAさんは世の中を変えることができる。 - dyko’s diary

 

 1月9日に書いた、自分のブログ記事の引用で申し訳ないのだけど、

 

1月8日でそろそろ3000万アクセスということは、それから約75日間で、さらに1000万のアクセスがあったということになる。

一日平均で約13万回。

さらにYahoo!ニュースなどで、ブログの一部を切り取られ、取り上げられてもいる。

 

コメント欄までは毎回読まれてはいないにせよ、それだけ多く、目に触れる可能性があるということだ。

 

ASKAさん宛にコメントを残すだけでも緊張しているのに、そう考えると一層緊張感が増してくる。

 

ASKAさんはやっぱり凄い。

 

自分の責任だけで、

自分の言葉をこれだけ多くの人に発信しているのだから。

 

もうすぐ4000万アクセスということに、

ASKAさんは素直に驚いている様子だけど、

 

計算しているのか、気の赴くままなのか、

 

堂々としたブログ内容。

 

これがまったくの天然だったら、恐ろしい第六感の持ち主。

計算だったら、恐ろしく細やかな気遣いのできる人。

 

ASKAさんは、きっと両方備えている。

 

何れにしても、

 

ASKAさんは、人好きのするオーラがある。

 

ここまで愛されていても、

 

「喜んでもらえることが僕の喜び」

「僕は、自分が(歌を)上手いと思ったことは、一度もありません」

 

と本心から思っている。

 

謙虚というか、どこにも奢ったところが感じられない。

 

 

そしてそのASKAさんの目は、離れていったファン、未だに信じきれずにいるファンにも向けられている、と感じる。

 

じっと黙ったまま、

それでもチラッと見てみたり、

揺らぐ自分の心と葛藤している、

複雑な想いを抱えた人たち。

 

その人たちの心を、全神経を使って感じとろうとしているように思える。

 

それだけの細やかさがありながら、

 

譲れないところは譲らない。

 

ASKAさんを、ASKAさんの音楽を好きだけど、

向き合いたくない面もある。

 

知りたくないこともある。

 

そういう声があることもきっとASKAさんは知っているだろう。

 

それでも、

 

自分自身に誠実であるために、

鏡の中の自分の顔を、真っ直ぐ見つめられる、

そんな自分であり続けることだけはやめない。

 

 

どこまでもしなやかにたわむ、

 

そんな強さを、

 

今のASKAさんから感じている。

 

まだまだ『Too many people』で眠らない夜。

『700番 第二巻/第三巻』、『Too many people』、そして『700番 第一巻』と、大きな石が、次から次へと投げ込まれていく。

 

11月3日

何もしないと、何も生まれません。

僕の小石は歌です。

どんな水しぶきを上げるのか。

これまでは、投げ込んだ時の音で、歩く人を振り向かせていたように思います。

今は、投げ込む姿から見てくれている人たちがいる。

これが、僕のブログのあり方のように思えてきました。

福岡から、今戻りました。 - aska_burnishstone’s diary

 

小石を投げ込んだ、と言うには高く大きく広がり過ぎる、その虹色に輝く飛沫を、思いっきり全身で浴び続けていたい。

 

その飛沫には、生きるエネルギーが内側から湧いてくる、

どんな博士にも調合できない、

ヒアルロン酸以上の秘密の成分が含まれている。

 

 

 

そもそも、チャゲアス、ASKAさんの音楽はBGMとしては成立しない。

聴き始めたら最後、たちまち心を奪われ、その世界に惹き込まれてしまう。

一曲だけ聴こうとしたのに、取り憑かれたかのように次々と聴きたくなり、いつの間にか時間を忘れていた経験は数え切れないほどだ。

 

『Too many people』も予想通り、

いや予想を遥かに超えて、

心が、身体が、深く音に反応する。

 

その世界に、心を全開にして浸りきるには、やはり1人っきりの静かな時間が必要だ。

 

私の場合、夜深く、朝早くが、鑑賞には最適な時間帯。

 

もともとひどい低血圧のためか夜型で、朝起きることは気合いと根性が要るほど辛いものだった。

 

目覚ましにしても、「朝をありがとう」ではイントロが元気過ぎるので、最初に鳴るアラーム音は「同じ時代を」に設定している。

5分後にはアルバム『12』の方の「君が愛を語れ」、その5分後には「Girl」、さらに5分後にはこれも『12』の「LOVE SONG」。

たおやかなメロディーに、優しく優しく起こしてもらって、やっとなんとか身体を起こしていた。

それからぼんやりした頭のまま、やらなくてはいけないことを覚えている身体がなんとかこなし、ようやく頭が起きてくるのが昼の12時頃。

そんな情けない生活を送っていた。

 

それが、

ASKAさんが7月にブログを始めてから、目覚ましにはできないものの、気持ちは「朝をありがとう」と思うようになり、次第に爽やかな気分で目が覚めるようになっていた。

 

こんなことは小学校以来だ。

 

何を大げさな、と笑われるかもしれないけれど、あれだけ辛かった朝が、爽やかな朝になったことは、

私にとっては憧れるくらいの大きな変化だった。

 

遠い存在の、一人のミュージシャンの、音楽ではなくブログ。

それがここまで自分の日常生活に影響を与えるとは、考えたこともなかった。

 

そして今、待ちに待った『Too many people』が手元に届き、聴ける、という喜ばしい状況。

 

睡眠時間は、必然と減っていく。

 

遅くに眠りについても、嬉しさのあまり、今では目覚ましより早く目が覚める。

 

音楽を聴く時間を作るため、素早く用事を済ませる。

 

日中、15分から30分くらいの仮眠をとる。

 

些細なことではあるけど、

頭では分かっていても上手くできなかったことが、自然にあっさりできるようになっている。

 

しかも、頭も身体もスッキリと清々しい。

 

『Too many people』効果はすごい、と改めて実感している。

 

日常でチャゲアス、ASKAさんの音楽はいつもそばにあり、そのパワーは十分感じてはいたけど、それにしても、の驚きの効果だ。

 

他の方のレビューも少しずつ読んではいるのだけど、例えば amazon だけでも半端ではない熱量のものが970件も寄せられていて (3月20日 20時15分の時点)、一度に10件のペースでは、読み終わる日はまだはるか先。

感動の声一つ一つに胸が熱くなる。

刺激されて、以前の曲、声もアルバムの合間に聴きたくなる。

時を経て、ますます魅力を感じる曲に、また心を震わせる。

一旦入り込んだら、どこが出口か分からなくなってしまうASKAワールド。

 

 

ASKAさんのブログのコメント、個人ブログなどに綴られている想いなどもすべて含めて、一つの円を成している。

そう感じる『Too many people』。

 

 
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だけど、

ASKAさんは、まだ重たい荷物を下ろせないでいる。

 

その荷物が軽くなる日がもうすぐ来ることを祈りつつ、

ありのままを受け止め、足りない頭で自分なりに考えることぐらいしか私にはできない。

そんな中でも、わくわくするプロジェクトを進め、充実している様子も伝わってくる。

 

音楽を自由に楽しむことが、段々と日常の大部分を占めていく。

 

『700番 第一巻』も無事発売され、ブログもいろいろな意図を含みながらでも更新されているので、そう不安は感じていない。

 

盲目的に崇める訳ではない。

欠点も失敗も含めて、

アーティストとしてだけではなく、人間的にも、

ASKAさんを信頼している。

 

どうしても心配に思うのは、もう仕方ない。

 

惹かれてしまったこちら側に与えられた、

人間として成長するチャンスなんだろうと捉えて、

ASKAさんが投げ込む姿を見つめている。

 

 

そして新たな飛沫を、一緒に待っている。

 

  

 

 

 

 

 

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もう、春ですね。

ASKA『Too many people』余韻。

「しゃぼん」が終わり、ループ再生が

「FUKUOKA」のイントロを流す時、

言いようもない安心感に包まれる。

まるで赤ちゃんが母親に抱かれるように。

ASKAさんの歌声を聴くと、その深い温かみにまた泣きそうになる。

 

2月26日

いろいろなことがありましたが、

「Too many people」

リリースできて、本当に良かった。

僕は、以前から、アルバムはひとつの円だと語ってきました。

1曲1曲が、円の隙間を埋めるようにして、全体でひとつの円を作る。

「バリエーション」という、表現もありますが、僕は、円と呼んでいます。

2月26日。 - aska_burnishstone’s diary

 

ひとつの大きな円を感じる瞬間だ。

 

生命に感謝を捧げるように、

「しゃぼん」から「FUKUOKA」へ。

 

自然に、繋がってゆく。

 

 

 

 『Too many people』には溢れんばかりのエネルギーが宿っている。

「僕のストーリーで完結させて、淡々と楽曲を作っていきました」と雑誌『音楽と人』4月号のインタビューでも語っているように、

今まで以上にASKAさんを感じるアルバムだ。

それは自分に真摯に向き合い、そこから立ち上がり前へ進もうとするASKAさんの生きようとする力、そのものなのだろうと思う。

 

 

 

前作『SCRAMBLE』から4年あまり。

時間だけを見るとファンにとっては長いブランクでも、ミュージシャンとしてはそう珍しくもない期間だ。

 

だけどその前後から、ASKAさんの内側、外側では大きな嵐が吹き荒れていた。

 

その嵐の風を少なからず感じ取り、不安という暗い雲に覆われていた私の心に、少しずつ陽が射してきたのが、2016年7月18日。

 

ASKAさんがブログを始めた日だ。

 

そこから起こった変化は、ASKAさんにとっても、また遠く離れていたところでASKAさんの音楽を聴いていただけの私にとっても、数え切れないほどある。

 

ブログの一語一句に一喜一憂し、ついにリリースされたアルバム。

それを手にした時の感慨。

 

今までは歌の感想、アーティストに対する想いなど、公に発信することなど考えたこともなかった。他の人の感想を積極的に知りたいとも思っていなかった。

それぞれが、それぞれに抱く想いを大切にすればそれでいい。

 

音楽だけに関わらず、意見の食い違いというものは、時に自分や相手を否定したりすることに繋がる。

それを冷静に受け入れられる時のみ、意見は交わせる。

 

だから、自分にとって思い入れの強いもの、大好きなものこそ、大切にしまっておきたい。

 

そんな考えでいた。

 

でも、この今までにない思い入れの詰まったアルバムを聴いて、心の震えがとまらず、どうしてもファーストインプレッションを残しておきたい、という衝動に駆られた。

 

この衝撃を、感動を、あやふやになってしまいそうな感情を、言葉で表現するのは到底無理と知りながらも、とりあえず記しておきたかった。

 

 

アルバムが発売され、早や三週間が経ち、すでにファーストインプレッションからは変わりつつもある各曲への想い、印象。

 

もう一周、余裕で書き連ねられるほど(笑)、まだまだ溢れ出てくる。

 

もちろんあくまでも私の曲に対する想いであって、ASKAさんが曲に込めたものとは違うだろう。

 

  12月27日

みなさんが、僕の歌を聴いてくれていることで、僕は幸せ。

みなさんの波動が、ちゃんと届いているから。

 少し、気になってること。 - aska_burnishstone’s diary

 

ASKAさんの謙虚な姿勢に甘えて、自由に、感じたままに、この幸せを堪能したい。

 

 

これから、たくさん寄せられているというアルバムの感想を、少しずつASKAさんのブログのコメント欄や、amazonレビューなどで読んでいくのも、私にとっては新しい楽しみだ。歌への解釈がより広がり、深まっていくことと思う。

 

 

様々なアルバムへの想いがある中、

私のブログを読んでくださっている方に、是非オススメしたいものもある。

 

まず、tencho さんの「Too many people は仮面ライダーである」という、独特なアルバム論。

?から!となる、とても興味深い考察です。

他にも、ASKAさんのソロアルバムレビューを超個人的視点から、オモシロ素晴らしく書いていらっしゃいます。

レビューっていいな、と初めて思いました。

前編=?、後編=!です。

 

超個人的コラム『枕』 - BASSO memo

超個人的コラム『本編』~『さげ』 - BASSO memo

 

 

そして、大きなチャゲアス愛、ASKA愛でもって感性豊かな感想を綴られた、まっきーさんのブログ。ほぼ同時進行でUPしていたこともあり、自分の想いをまとめた後、まっきーさんの同じ曲への感想を読ませていただいていました。共有できることの素晴らしさに気付きました。

まっきーさんの創る、消しゴムアートの作品にも注目です。

  

しゃぼん〜Too many people🎵〜 - チャゲアス への想い〜ENERGY〜 maki's diary

 

 

また、皆さまの想い、共感したレビュー、日常生活のことなど、どんなことでも 、気軽にコメント欄に残していただけたら、とても嬉しいです。

もちろん、読んでいただくだけでも、大歓迎ですよ。

 

 

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毎夜、

アルバムクレジットを眺めては、

ついにやったなぁ、

とニヤついている。

見慣れたメンバーたちに加え、「お友達にきまってるじゃないか」さんや、「ASKAの音楽を愛する仲間」さん。

手書きで加えられた、マスタリングの「龍王」さん、09.「元気か自分」の Guitar「狩野良昭」さん。

そして Special thanks の「わかりあってる仲間たち」さん。

きっと「僕たちの音楽を愛するあなた達」も隠しクレジットで入っている。

2月26

あちこちにあるレビューを、読ませていただき、

心の底から、「このアルバムはみなさんと一緒になって作ったのだ」と感じています。

2月26日。 - aska_burnishstone’s diary

 

2月9日

このアルバムは、仲間の支えによって完成できたのだと。

参加してくれたミュージシャンたちは、皆、一線で活躍している人たちなので、ほぼどこかの事務所に所属しています。コンプライアンスの問題で、事務所との衝突もあったことが、様子から伺えましたが、誰もそれを口にしませんでした。

これまでも、小さなことや、受け取り方の違い、誤解はあったでしょう。

僕が、気づかなかったことがあったと思います。

それでも彼たちは、「何があっても仲間だ」「家族だ」と、いう気持を、持っていてくれましたので、壁を壁とせず、それを飛び越えて参加してくれました。

音楽誌の取材。 - aska_burnishstone’s diary

 

少し長い引用になるが、この仲間との絆が、彼らの心が、このアルバムの底に確かに存在する。

 

だから、

このアルバムを聴くと、温かい気持ちに満たされる。

 

 

希望への切符を胸に、まだまだ続くASKAさんの道。

 2月26日

別の円を作る楽曲が、まだまだあります。

そして、その円を円にするために、必要な楽曲がまだあると感じるならば、

更に新曲を作っていくつもりです。

2月26日。 - aska_burnishstone’s diary

一年間で最低でも2枚のアルバムを発表したいと考えております。

ブログや『700番』で綴られていた、この心踊る言葉は『Too many people』を聴いてさらに現実味を増した。

そのくらいの勢いを、今のASKAさんからは感じる。

「DDLB-0001」の表記を愛おしく、期待を込めて見つめる。

社会における「通常の概念」や「つまらない常識」に身の丈を合わせることなく、全てを自由の基に、そして発想の基に生きてゆくという思想を、「独創」を、是非この DADAレーベル で実現していってほしい。

 

 

 

意識が大きく変わった、この特別なアルバムは、まるい形をした虹色の希望。

 

『Too many people』から始まる景色は、まだ始まったばかり。

 

ASKAさんのこれからを楽しみにしている。

 

 

このアルバム『Too many people』 に、

ASKAさんの一歩一歩に、

そしてASKAさんの一歩から始まった、

皆様との繋がりに、

 

勇気を、希望を、幸せをもらっている。

 

 

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

心から、

ありがとう。

ASKA new album を聴く。13.「しゃぼん」


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YouTube「しゃぼん」より


ほとばしる生命力が強く感じられた、このアルバム『Too many people』。

 

全編を通して聴いて伝わってくる、

ASKAさんの生き様、ASKAさんの景色。

 

それは、

 

「虹色に回る 色の定まらないしゃぼん」

 

「屋根の近くまで届いては消える しゃぼんのよう」

 

 

だと、最後の最後に歌われる。

 

なんて孤独で、なんて寂しいんだろう。

 

 

「きっと僕はとても臆病で勇敢で 切なく陽気で」

 

そう、

でもきっと誰でもそうなのだ。

 

 

「弾けて消える 音もなく消える」

 

 

私たちは皆、そんな儚い生命を懸命に生きている。

 

 

 「ますます明るくなってゆくのは 朝さ 答えかい」

 

 

深く、切なる叫び。

なんとか希望を見出そうと、もがいているかのように。

 

「嵐が去ったら何になる?

    晴れになる

    いいえ、朝が来るんです」

                 ( 散文詩 「朝が来る」)

 

 

 

『700番 第二巻/第三巻』、第二巻  1.「医療保護入院」の章。

 

ASKAさんは、

(1) 情緒不安定であること

(2) 被害妄想があること

(3) 自らが精神病を有することを理解できないこと

との診断から、突然全ての自由を奪われた。

鍵をかけられた部屋。

電話も取り上げられ、本も読めず、何もすることがない。

何より誰にも信じてもらえない。

 

「小さくなっていく。自分がどんどん小さくなっていく。」(「700番 第二巻」)

 

「心が寒かった」(「700番 第二巻」)

 

絶望に打ちひしがれそうになりながら、ベッドの上で出来たばかりのこの歌を呟く。

 

 

「僕の上に天使はいるかい 胸を踊らす光はあるかい

   僕の側に君は居るかい 見ていてくれるかい」

 

 

どんなに不安だっただろう。

どんなに悲しかっただろう。

 

その時の心情を想うといたたまれなくなる。

 

決して誰も悪くない。

 

だからこそ、苦しさは募る。

 

 

「それでも それでも ああそれでも」

 

 

それでも朝は必ず来る…、

希望を持ち続けるのだ。

 

 

11月21日

いろいろ、話題は尽きませんでしたが、

録り直しの3曲が、ほぼ終わりました。

負け惜しみでは、ありません。

前のテイクより、良いテイクになったと思います。

こう書くと、

「前に一緒に作った方に失礼だ。」

こういう言い方もされるでしょうが、これは当たり前のことです。

楽曲に、完成はありません。

タイムアップでを迎え、

「これで、良し!」

と、思ったところを完成と呼ぶのです。

なので、時間をいただいた分、楽曲はイメージに近づいていきます。

 上手く行きました。 - aska_burnishstone’s diary

 

取り直しになった3曲。編曲は澤近泰輔さん。

この日のエントリーから

「それでいいんだ今は」、「元気か自分」、そしてこの「しゃぼん」が、その曲なのだろうと分かる ( 間違っていたらごめんなさい )。

歌詞カードの写真撮影が、11月5日だったことも思い出す。

 

アレンジが変わっても、作った本人のASKAさんには別曲には聴こえないという、その素のメロディーだけをなぞってみる。

 

ASKAさんが病院のベッドで見ていた景色を、その心を想像しながら。

 

あれから様々な困難も乗り越え、洋服を着替えた曲たちは、この日どんなに頼もしく、誇らしく思えただろう。

 

 

11月27日

これで良しっ!

な、気持ちになっています。

今は、1曲ごとの感想はありません。

アルバムが到達点直前にいることの喜びを感じています。

今、13曲をとおして聴きました。 - aska_burnishstone’s diary

 

13曲通して聴いて、この時のASKAさんの気持ちを想う。

「これで良しっ!」

何とも言えない充足感に満ちた瞬間だったのではないだろうか。

 

しかし翌日の逮捕で状況が急変し、その喜びに浸る間すら奪われてしまった。

 

またもや大きな苦境に立たされる。

 

12月19日

予定が、20日間もズレてしまいました。

こんなところで止まっているわけにはいきません。

やれることを、やらなくては。

みなさんを、最高のアルバムでお待ちします。

 不起訴でした。 - aska_burnishstone’s diary

 

アルバムを早く届けたい一心で、釈放直後から奔走しただろうことは想像に難くない。

 

本当に懸命に。

 

このアルバムから強い生命力を感じるのは当然というくらいに、

たくさんの愛と情熱が込められている。

 

 

それなのに今もまだ苦悩は続いている。

 

実際に体験していることを妄想と一蹴される。

覚せい剤の後遺症だ、病気だと取り合ってもらえない。

分かろうともされない悔しさ。

 

 

「いま幸せですか 苦しいですか

    何度も自分に問いかけてみる 投げる」

 

 

問うても問うても、

答えが見つからない時がある。

願っても願っても、

叶わないこともある。

 

しゃぼんのように儚い、

人の喜び、悲しみ、そして生命。

 

 

「この寂しさは どこから来るんだろう

    それでも それでも ああそれでも」

 

 

それでも生きていく…。

 

力の限り、振り絞られる歌声。

 

そこには、命への限りない愛がある。

希望がある。

 

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「それでも それでも ああそれでも」

 

魂に直接響いてくる、歌の域を超えた歌。

 

しゃぼん ASKA - YouTube

ASKA new album を聴く。12.「未来の勲章」

雲の隙間から少しずつ明るさを増していく、そんな朝焼けのイメージが湧いてくる。

 

 9月1日

ただ今「未来の勲章」が、上がりました。

8ビートのロックサウンドです。

終わったー! - aska_burnishstone’s diary

 

終わったー!という達成感を一緒に感じて、にっこりした日。

この文章を読むだけで、前向きな気持ちになり、わくわくした。

 

その時の高揚感がサウンドにのって蘇ってくる。

 

 

「この胸に貼り付けた 未来の勲章は

   どんな嘘も真実も痛みも優しさも

   抱きしめている」

 

 

深い淵を歩き、真摯に自分に向き合ったからこそ出てくる言葉だろう。

抱きしめている、という表現がいい。

 

 

 

10月30日

空はいつも不安定。

今日、また見えてしまったあの曇り空からは雨が降ってくるのでしょうか。

僕のリュックに傘はあるのでしょうか。

雨に濡れながらも

いまは歩くしかないと思っています。

人生に、

「ありがとう」と言うために。

  いま、ミックスが終わりました。 - aska_burnishstone’s diary

 

「未来の勲章」のミックスダウンが終わったこの日。

トラブルを乗り越えても乗り越えても、また見えてくる曇り空。

少し不安な気持ちも伝わってくる。

 

 

「旗を上げて朝を下ろして

    時に僕は深い現実を見る

    寒がらないよ 誰もがくぐるのさ

    いつかいつか訪れる季節さ」

 

 

厳しい季節を見つめ、受け止め、決して悲観しない。

「それでいいんだ今は」の精神にも通じている。

 

 

寒さを跳ねのけるかのような、 男性的で逞しいメロディー。

そこから大きく変化を見せるサビは、ポップで華やかでとても印象的だ。

 

「クールでシュールでキュートな 夢を守って

    遠くで近くで掴んで 心に残る旅をするのさ」

 

いつまでも耳に残る、とことんキャッチーな語感。だけどそこには、頼もしく大きな決意が込められている。

 

 

「伴奏が終わっても歌がつづくように

    夢中になった人でありたい」

 

 

散文詩 「春夏秋冬」にもあったような、

これから進む自分の道への意欲。

 

そしてその決意に沿うような力強い歌声、歌い方に心が震える。

 

 

 

諦めることなく歌い続ける、

 

その一歩一歩に、

 

勇気づけられる。

 

 

自分も一歩踏み出そう、

 

そう思える歌。

 

  

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ASKA new album を聴く。11.「信じることが楽さ」

最初から最後まで、ASKAさんの根っこがそのまま伝わってくる歌詞。

 

「僕は迷いもなく 遠い星を数えて

    深い深い夜を愛おしく思う」

 

生命に対する深い愛を感じ、一つ一つの言葉が心に沁みる。

 

 

個人的には、よくぞこのアルバム『Too many people』に入ってくれた、と泣けてくるほどに強い思い入れもある。

 

『700番 第一巻』(加筆修正された完全版 3月19日発売予定) が、ブログとして2016年1月に発表された時、何よりもまずASKAさんの「生」を感じて安心した。

だけど、ASKAさんの真実、想いが理解できると同時に、痛みを伴わずには読めないところもあった。

 

このブログでは、ほとんどの章の終わりに散文詩が添えられていたのが特徴的で、そこがとてもASKAさんらしい。

その中で私が一番印象に残った詩が、週刊文春の章にあった「信じることが楽さ」だった。

 

ASKAさんの真実とはほど遠い、メディアのでたらめな報道。世間が持ったイメージ。

そのことに一番傷つき、苦しんでいるのはASKAさんだろう。

 

 

人生で心が傷つく度に、また傷つくのが怖いからと、信じないことが楽さ、に傾きつつあった私は、

 

この週刊文春との経緯を書いた後に、

この詩を載せる、綴ることのできる

ASKAさんの心のあり方に、目が覚めるような思いがした。

 

そのため私のブログでも何度かこの詩を引用した。

 

どんな状況にあっても、人を、生命を敬い、愛する。

その揺るぎない強さを感じるこの詩には、

それでも足りないくらいの、たくさんの気付きがあった。

 

 

まるでその強さを試すかのように、さらに降りかかる大きな試練 (昨年の逮捕)。

 

2014年には、雑誌記者が、取材ではないと前置きした会話と未発表曲を隠し録音し、自社Web会員に公開した。

2016年には、芸能リポーターが、電話での会話や未発表曲をテレビで流した。

 

繰り返されたアーティストへの冒涜。尊重されない約束。先入観、偏見に満ち、なぶるような報道。

 

それに対してASKAさんは、

静かに真正面から抗議をする。

昨年もそうだった。

ただその憤りでさえ、優しい心で締めくくる。

 

12月22日 

今日は、1日雨でした。

雨を喜ぶ人がいる。

晴れを喜ぶ人がいる。

 

いいんです。

見上げたら空があれば。

 尿とお茶 - aska_burnishstone’s diary

 

この歌「信じることが楽さ」の芯が、この数行にも表れているように思う。

 

『700番』で読んだ時から、ASKAさんって人は…、とその美しい心に驚きすら覚えていたけど、

この日、ASKAさんの本質は変わっていない、変わることのないものなんだと、ますます感じ入った。

 

  

「Too many people」では、メディア報道で傷ついた心が、

この「信じることが楽さ」では、それでも変わらないASKAさんの生命のあり方がベースになっている。

 

 

「悲しみの言葉を 綴ることのないよう

    水たまり避けながら 行くことが苦手で」

 

とリンクして思い出す、

 

「僕はと言えば 冬の支度も 出来てないけど

    歌を歌うよ」( In My Circle )

 

 

不器用で無防備とも言える生き方。

 

そんな生き方しかできないけど、ただ自分の道を歩み続けるだけ、といった達観した人生観を感じる。

 

 

また唯一、このアルバムの中でほぼ私のイメージ通りだった曲の雰囲気。

ブルースハープが入ってもよさそうな ( 超個人的な要望です)、感傷的なメロディー。

ギターのフィンガーノイズ (キィュ、キィュと鳴る) 音がたまらなく良い。

 

 

デジャヴュではないけど、一年間歌詞だけを読んでいたのに、抵抗なく自然に馴染んでゆく。

ずっとそばにいたような、ずっとそばにいるような。

 

 

 

信じないことが楽さ、と時々つぶやくようになっていた自分の弱さに向き合え、

 

「疑うことは寂しいことなんだ」

やっぱり「信じることが楽さ」と

ガシッと肩を抱いてもらったみたいな、そんな安心感をこの歌から与えられた。

 

 

 

「両手でポケットを まさぐって歩く

    道はいつでも僕に新しい」

 

 

 

生きていくのに大切な強さは、

自分も含めた、人間への揺るぎない愛を持ち続けること。

 

例えどんなに厳しい環境に置かれても、

例えどんなに冷たい仕打ちを受けても、

 

生きている限り、優しい瞳を持ち続けたい。

 

ASKAさんがそうであるように。

 
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それを忘れないでいさせてくれる、

大切な大切な歌。