ASKAさんの本『700番 第二巻/第三巻』を読む前に考えたこと。

ASKAさんが3月17日に加筆修正し出版する本『700番 第一巻』は、2016年1月9日ブログという形で突然ネット上に発表され、即削除された。

 

そしてブログ削除からしばらくして、ASKAさんが精神病院に入院したという何とも悲しいニュースを聞いた。

 

それまでのメディアでも、ASKAさんは重度の覚醒剤による後遺症がある、精神状態はかなりヤバイといった報道だったが、強制入院という事実から、アーティストとしてだけではなく人間としても再起不能か、のような書かれ方となっていた。

 

実際のASKAさんがどういう状態なのか不安を抱えつつも分かる術もなかったのだけど、強制入院(医療保護入院)が本当なら、いずれにしても厳しい状況なのだろうと判断せざるを得なかった。

 

削除されたブログは読むのに数時間かかるほどのボリュームで、読み進めながら驚くほど、客観的な目線での状況描写が印象的だった。

 

このブログの明確な削除経緯は不明だが、

発表を反対した周囲の人たちは、ASKAさんのためを心から思っていた、ということは想像がつく。

 

それだけ、あけすけで、突っ込んだ内容となっていた。

 

ここまでの流れでは、ブログ内容、特に盗聴盗撮について書かれた部分は、ASKAさんが覚せい剤使用の後遺症による妄想、または精神的な病を抱えている可能性はある、と見られても仕方のない状況だった。

 

嘘や偏見だらけの報道ではなく、できるだけの直の情報は得たい、そう思ってしまう私にとっては、ASKAさんが書くASKAさんの真実というものに怯むことはない。

 

どんなに壮絶な経験でも、本人が伝えたい意志を持って書いたものは、感情移入するあまり例え苦しくなったとしても読みたい。

 

その上7月には、ASKAさん本人によるブログが始まったことで、ASKAさんの状況が分かってきた8月頃には、『700番 第一巻』の内容にも信憑性が出てきていた。

 

ただ、一般世間に向けて実はこういうことでした。

と報告し、納得、安心させられる内容なのか、ということになると、大いに疑問ではあった。

 

理解を示す人がいる一方で、ASKAさんがまたさらに、病んでいる、嘘をついている、という風に扱われる可能性も大きいと思った。

その方が「面白い」から。

 

2014年の逮捕の報道から、メディアはASKAさんを材料に創りたい放題ストーリーを膨らませてきた。警察発表ですら間違って伝わり、それがASKAさんの事実となって印象付けられてしまった。

 

覚せい剤を使用していたという重い事実。

 

それだけで、全てのメディアの嘘は許されるとでもいうように。

 

実際のところ、

 

言い訳はしなくてもいい。間違ったことを報道されていたとしても、関係ない。実際使用していたことに変わりはないのだから。反論、主張の前に、まず、ひたすら反省するべきだ。

こういった「黙して語らず」という美徳が日本人の心に根強くあるのが分かるから、

ブログを本にして出版したところで、内容を素直に冷静に受け止められてもらえるだけの土壌はないだろう。

 

今の段階で、世間的に、理解を求めることは難しい、それより、ミュージシャンASKAとして、音楽活動だけを地味でもひたむきに続ける方が伝わるのではないか。

 

理屈より、心に直接届く音楽の力。

 

誤解は解けないとしても仕方無い。

 

そう思うところがあった。

 

もちろん強制入院について書かれた二巻なども、私個人としては読んで、理解したいと思っていたが、

ASKAさんの問題はたくさんの複雑な背景があり、先入観、偏見をなくして読む人がたくさんいるとは考えにくかった。

 

一部の本当に知りたい、分かりたい人だけが読めばいいと。

 

ASKAさんが誰に何と言われようと、出版の意志は固いということも分かっていたが、

思いがけない再逮捕、不起訴処分により、なおさら説明が必要な状況になってしまった。

 

流れ。

 

意図していなかったとしても、流れは確実に本の出版の必要へと傾いていった。

 

ASKAさんの意志を後押しするかのように。

 

ファンではない人も、もう一度2014年の逮捕、それにまつわる諸々を思い出し、

何より提出されたお茶からなぜ覚せい剤の陽性反応が出たのか、という点には注目が集まった。

 

アルバム発売でネガティブなイメージを多少なりとも払拭できるだろう、というファンとしての目論見はあっさりと打ち砕かれ、

世間的には、ASKAさんはもしかしてまだ…、といったグレーのイメージが上塗りされたようだった。

せっかくの不起訴処分も尾を引く結果となり、復帰への風当たりを心配した。

 

 

敢えて言うと、

ASKAさんの書く真実はASKAさんの真実であって、もちろん事実も含まれているけれど、どんなに客観的に書いてあっても、一つ一つの事実には、関わったそれぞれの人の真実がまた別にあると思っている。

 

真実は一つというASKAさんの言葉と矛盾するようだけど、

それは言葉の定義が違うだけだ。

私は「事実」は一つでも、「真実」は主人公が誰かということで変わるという風に考えている。

 

その複数の真実を知ることで第3者は

やっと、一つの事実に近づくことができる。

 

恋人や友だちとの揉め事を思い浮かべると分かりやすい。現場にいなかった人には、二人の意見を聞かなければ、何が起こったのかを想像することは難しい。二人に話を聞いたところで、分かることは自分の経験や先入観からの想像でしかない。

同じように話を聞いても、違う解釈が生まれるのはそのためだ。

 

それを分かっているから、ASKAさんは自分に都合の悪い事も含め、客観的に描写することに努めている。

 

でも、関わった人たちのことはどこまで書ける?

 

誰も傷つけないように、

とはASKAさんが最も気を遣った点かもしれない。

 

誰もが一人で生きているわけでなく、人との関わりの中で原因が生まれたり、理由となることがある。

 

本当なら、誰も傷つけない描写はどうしても説得力に欠ける。

 

『700番 二巻/三巻』(一巻も含めて)の内容に、もやもやが残るとしたら、そういった理由からだ。

 

誰も傷つけないように、

その配慮が、ASKAさんの矛盾や嘘のように映るかもしれない。

 

これから吹く風も含めて、すべてを背負っていく覚悟の上で、本当の自分を知って欲しいと、

行動を起こすことで前に進むASKAさん。

 

弱い自分も、

不甲斐ない自分も、

 

堂々と隠すことなく。

 

それがASKAさんの行く道なのだろう。

 

音楽活動ができなくなるほどまでに追い詰められた背景と、

その背景にある社会的問題、

ASKAさんの創る音楽とのつながりの深さ。

 

10月7日

僕が、音楽活動をやるためには、避けてとおれないできごとなのです。

 ここは僕とみなさんの強い絆の場。 - aska_burnishstone’s diary

 

と、ASKAさんが言うように、

 

ASKAさんの通った道を知るため、

 

そして、

 

ASKAさんの音楽を聴くために、

 

『700番』を読もう。

 

 

 

ASKAさんの真実を理解するために。

 

 

 

ASKAさんのTV出演翌日の各TV報道。

(本の内容が分かるような部分は、ネタバレにならないよう省いています。)

 

ASKAさんのテレビ西日本『ももち浜ストア』生出演、放送翌日の16日、

各情報番組はこの話題をどう取り上げたのか。

 

関係者が一丸となって実現した内容も、

実際には全国ネットで取り上げられている方が世間には広まってしまう。

 

そういった現実で、今のASKAさんはどう映り、どう伝わったのだろう。

 

 

 

 

まず、フジテレビ系『とくダネ!』では、

 

"ASKAテレビで語ったお茶の謎”として、

出演当日、ASKAさんが自宅を出るところを(他社と共同で)取材。

記者「テレビ出演を決めた理由は?」

ASKA「流れです。全部流れです。」

記者「騒動についても語りますか?」

ASKA「はい、語りますよ。失礼します。」

という受け答えの様子が流れた。

ASKAさん以外の風景(自宅、車、人など)にはボカシがかかっていた。

 

続いて、出演したTVのインタビュー映像。

覚せい剤を使う経緯や、

「後悔も反省もある」「(今は)見たこともない」「(今後の使用は)もちろんない。全く考えたこともない」

という今のASKAさんの覚せい剤に関する気持ち、

「白でも黒にされてしまう、とにかく考えろ、考えろ」という思いからお茶にすり替えたこと、

「(執行猶予期間は)社会に馴染んでいくためのリハビリの期間と捉えている」

とASKAさんが語る部分が流れた。

 

小倉智昭さんは、「しっかりした話し口調だし、目を見てもきちっとしてるように感じますよね、見た目はね」と古市憲寿氏に話を振り、

古市氏も「そうですね。あんまり変なところはないですよね。しかも最近直近の事件に関して言えば不起訴処分になっているわけで、どんなに怪しく見えても推定無罪っていう原則もありますし、過度にASKAさんを犯罪者扱いをする必要はないなっていう風に思っていて、やっぱりアーティストって歌が全てじゃないですか。このFUKUOKAって歌も、変な歌っていうよりいい歌だなっと思うんですよね。」と発言すると、小倉さんも同意。

前日のASKAさんの生歌唱映像が流れる中、岡部さんも「すごく良くってていうのもあれですけど、やっぱりASKAさんてすごいなって、改めてミュージシャンとしてすごい才能のある方なんだなって実感させられましたし、説得力のある歌い方っていうのは感じますよね。」と感想を述べた。

小倉さんは「地元でファンや応援する人も多いから、テレビ西日本の出演が叶ったということなんでしょうね。」と締めくくった。

 

 

全体に小倉さんのASKAさんに対する、親しみをこめた温かい姿勢が表れた内容だった。

 

 

 TBS系『白熱ライブ ビビット』では、

 

"ASKAテレビ出演復帰 新曲を熱唱”として、

出演直後にスタジオを出るASKAさんの映像と、

その後の食事会の場所前で、TBS記者が直撃した様子を放送。

記者「ASKAさん、今のお気持ちは?」

ASKA「うん、なんかうまくいきましたね。うまくいったというか、ちゃんと歌えた。」

記者「少し緊張されているようにも見えたんですが、いかがですか?」

ASKA「テレビはいつも緊張しています。」

記者「これまでは(再活動へのきっかけとしては)考えたりはしなかったけれどもと、仰ってましたけど、いかがですか?」

ASKA「そうですね。今回はうまく歌うということよりもどういうふうに見えるんだろうということをすごい気にしてたので、きっとそっちの方に比重を置いていたように感じますね。」「本当にありがとうございました。寒いですけど。」

と答えた後、カメラに手を振り、食事処に向かうASKAさんの姿が伝えられた。

 

その後、当日朝自宅を出るASKAさんの(とくダネと同じ)映像を流し、

前日のASKAさんのブログから、

「再出発は、ふるさと福岡から。願いは叶いました」

「まだまだ、向かい風は強いでしょう。現在の僕を知っていただくための出演です」

「この先に見えてくるのは、どんな景色でしょう」

の部分のみを紹介。

テレビ出演の様子はイラストで再現し、

「最初に逮捕されて以降、覚醒剤は使用していない?」という質問に、

「見たこともないですね」「よく言いますよね その気になればどこにでもあるし手に入るものだと、それは特別な状況にならないとなかなか目の当たりにはしないですよ」と答えた部分や、

2度目の逮捕の際に尿をお茶にすり替えたことについての、

「1回目の逮捕の時の経験からなんですけど、僕が取り調べでしゃべったことと違う内容を世の中に発表されてしまうので、普通に尿を提出したらこれは白でも黒にされてしまうなと、とにかくその瞬間考えろ、考えろって気持ちが強かったですね」というASKAさんの発言を取り上げた。

 

また、新曲を歌ったとしてYouTubeの「FUKUOKA」を一部流し、出版される本の紹介があった。

テレビ復帰に関しての福岡のファンの声は、「ずっと待っていましたから嬉しくて。この日ばかりを待っていました」や「思ったよりは早かった気もするんですけど…」という意見が放送された。

 

その後食事場所へ到着するASKAさんの(冒頭と同じ)映像と、2時間半後食事会を終え車に乗ろうとしているASKAさんをもう一度直撃した様子、

記者「やっと語れる時が来たということですが、一番訴えたいことは?」

ASKA「誰にも心の傷を与えず、自分の言えることが言えたということですかね」

記者「薬物はもう断ち切りましたか」

ASKA「もう全然やってないですね」

など(本の内容に関する応答もあったが、ここでは省略)が流れた。

 

その後、2014年からの経緯、本、アルバム発売などを伝えた上で、このタイミングでのテレビ出演に関して意見が交わされた。

 

富岡佳子さん「まず執行猶予中なので、その期間を全うしてからでも遅くはなかったかな、と。ファンの方は熱烈な方が多いので待って下さると思うし、ちょっと早かったかなと思いました。」

真矢ミキさん「こんな素敵な歌じゃないですか。この素敵な歌に説得力が欲しいと思いました。早いというよりも、手順が、信用回復するためには時間と手順があって、それが自粛っていうことなんじゃないか、この歌に説得力が欲しい。本も書かれるし、賢い方だと思うんです。だったらこの世間との温度の違いをしっかり受け止めて、地元の方って優しいしファンの方って優しいし、でもそんな意見だけじゃないっていう世間に目が向いたらいいなって思いますね。」

国分太一さん「確かに本業でいうと、清原さんが野球の解説をやっていたら、ちょっと違和感あるのかなって思ってしまうんですよね。清原さんは薬に対してはテレビでコメントはしていましたけども、そう考えるとちょっと本業に戻るのが早すぎたのかなって…。」

南美希子さん「仰る通りですね。ただ悪いけどこの映像を見て大きな違和感を感じますね。2回の逮捕、1回目は執行猶予、2回目は嫌疑不十分ですけど、どう考えても言動が腑に落ちませんしね。薬からの脱却って他の方の場合見ても、ものすごく長い道のりを辿ってようやく出来るかできないかっていう感じですよね。テレビって言うのは一つの公器ですよね。その公器に出演するというのは早過ぎるし、全く理解できないし、許されることではないと思いますね。」

水谷修氏(夜回り先生)「怒ってます。ふざけるな、です。執行猶予っていうのは、本来刑務所にいなきゃいけないのを、家族とか色んな人がいるから外でもう一回反省しなさいと、でも外にいる刑務所の中にいる状況と同じなんですよ。この映したテレビ局も何考えてるのか、一緒に捕まった彼女はどう思うのか、子どもたちはどう思うのか。この時期というのは、社会奉仕活動したり、あるいは家族のために動いたり迷惑をかけた人に償い、社会に償う時期でしょ。何の償いもしてない。歌が償い?そんなのは理由にならないですよ。この映したテレビ局も許せないし、彼ももう少し考えて欲しい。怒ってます。」

弁護士三輪氏「ただ、犯罪を犯して執行猶予中の人だっていうことは、大前提なんですけど、更生のためにはやっぱり仕事は大事だと思います。なので、その仕事を全くできないようにしてしまうのはダメだと思うんですよね。ただその仕事の仕方がテレビていうところがポイントだと思います。」

 

 

水谷修氏の執行猶予に関する発言は、心情的には言いたい事は伝わっても、執行猶予に対する間違えた理解をそのままに表したものであり問題がある。

弁護士の三輪氏が正すような発言を直後にしていても、ネットニュースなどではそのフォローは取り上げられない。

その他の出演者も、ASKAさんのこの時期のテレビ出演を疑問視する内容のコメントばかりだった。

 

 

続いてフジテレビ系『ノンストップ!』

 

ASKAさんの話題は番組冒頭で扱われた。

"ASKA 告白&熱唱 逮捕後初のテレビ出演”として、ASKAさんが語る覚醒剤使用のきっかけ、その後の経緯、今そして今後の使用の可能性、後遺症·禁断症状、執行猶予期間についてをインタビュー映像で紹介。

 

そして、

ASKAさんを動かしたのは音楽への情熱、

そんなASKAさんを支えたのはふるさと福岡の地と仲間だった、

そういった想いを込められて創られた歌として、

「FUKUOKA」を歌うASKAさんの映像が、「つま先をコンとついて」から間奏までたっぷりめにナレーションなど挟まれることもなく流れた。

 

また、放送を見た人の反応として、「表情が硬かったですね。緊張してるんですかね。反省してるのかな、と」「チャンスがあるならまたいい歌を出してほしいとは思いますし、頑張ってほしいなと思います」という意見を紹介した。

 

千原せいじさんは「思てたより、健康状態は良さそう。落ち着いてはる。」とコメントした。

 

さらに、ASKAさんが、盗聴·盗撮被害やパソコン乗っ取り被害に遭っているということ、強制入院の経緯、内容にも本の紹介と共に触れた。

入院生活や釈放時の様子、お茶を尿の変わりに提出したことなどについては、テレビ出演の映像、本の内容を一部抜粋し、ASKAさんの言葉を紹介する他、法科学研究センター所長の雨宮氏の見解もコメントで紹介された。

 

また、本編集担当者が語る ASKAさんの今後として、

「来週発売のCDの中には、CHAGE and ASKA  として歌うことを想定した曲もある」

という、ファンにとっては最大関心事とも言える内容のコメントをさらりと加えて、今後は積極的に音楽活動していきたいってことなんですねという風に締めくくられた。

 

 

歌の紹介の丁寧さと、盗聴·盗撮被害を取り上げたところが特徴的な内容だった。

 

 

 今ASKAさんのことを最も取り上げている、

フジテレビ系『バイキング』では、

 

今週の気になったニュース第3位として扱った。

60歳以上の街のご意見番の、

「まだまだこれから活躍して欲しい。このままではもったいないですよね、素晴らしいシンガーですから。」

「私どれだけファンだったの。だってこの人歌上手いじゃないの。もうすごい声出すしさ、でも私生活はダメ。女房も子どももおるのにお前はダメだよ。」

「ちゃんとしたことをしないで、告白本出して儲けたりして欲しくない。それは不誠実でしょ。一冊も売れなきゃいいと思う。」

といった声を伝え、

励ましの言葉のある一方で、厳しい声も寄せられているという、中立の姿勢を意識した内容だった。

 

「覚醒剤を使用したキッカケは?」「抜け出すことはできなかった?」「なぜ尿検査でお茶を入れた?」「ズバリ、今覚醒剤の使用は?」「後遺症、禁断症状は?」「今回の出演が再逮捕のキッカケ?」という質問とASKAさんの答えを、実際に放送されたインタビュー、歌の一部の映像と共に伝えていた。

 

スポーツ報知の「執行猶予期間はリハビリ。ASKA来年完全復活予告」という見出しの、

逮捕後の薬物との関係について「見たこともない。(今後の使用も)もちろんないという答えを真っ先に伝えておく」と断言したという部分の記事も紹介された。

 

芸能リポーター、あべかすみ氏は、テレビ出演の状況説明、17日に放送後の補足分インタビューの放送が予定されていることを報告した。

最後に、サンケイスポーツの「あす発売の告白本で新たな主張ASKA」という見出しの記事を紹介し、

ASKAさんの主張について、坂上忍さんの「素人としては辻褄が合う。ただ、専門家ではないので、そこで(専門家の検証)どういう答えが出てくるのかは、僕には分からない」という発言で話題は締めくくられた。

 

坂上さんがASKAさんに会ったことで、過度にASKAさん寄りにならないように注意した、見守るという姿勢での内容だったと思う。

 

 

昨年の逮捕時の報道内容が問題となった、

日本テレビ系『情報ライブ ミヤネ屋』では、

 

"ASKA氏 逮捕以来となるテレビ出演 あす著書発売 2度目の逮捕の真相綴る”として、

テレビ出演後と当日自宅を出る際のASKAさんの(他局と共同の)映像を紹介。

 

自宅を出る映像では、

「記者の質問には全て答え、心なしか足どりも軽いように見えた」とのナレーションが付いていた。

 

そしてテレビ出演の内容は写真での紹介となった。

 

Q.今あるのは後悔?反省?

「後悔も反省もありますね」

Q.1回目の逮捕以降、覚醒剤の使用は?

「見たこともないですね」

Q.断ち切るために後遺症·禁断症状は?

「全くなかったですね」

「どういう感覚だったかも覚えていない」

Q.今後は?

「もちろん ないという答えを真っ先に伝えなければいけないんですけど、僕はそういうこと全く考えたこともない」

というインタビュー内容を中心に伝えていた。

 

 著書『700番 第二巻/第三巻』については、内容を一部抜粋紹介。

警察に通報し、尿検査に至るまでの経緯などをオリジナル再現ビデオなどを使って説明した。

 

その後、サンケイスポーツの山下伸基氏、弁護士の西山宏昭氏らも交え、

宮根氏は「薬物に関しては(TVで)きっぱり否定されたんですけど、個人によって違うということなんですが、これはASKAさんの個人的な感覚であって、間違って伝わると怖いのがASKAさんはこうかもしれないけど、みんながこうというわけじゃないということは覚えておかないと」と発言し、

禁断症状にすごく苦しまれる人は多く、再犯の可能性も非常に高いことであり、個人差はあるが、ASKAさんの場合はそう(後遺症·禁断症状がない)だったということなんですよね。

でもあくまでも全ての人に当てはまることではない、ということを強調した。

 

本の内容だけでは、まだ分かりにくい部分もあるところを客観的に指摘したりはしていたが、ASKAさんの主張を疑ったり、TV出演の是非を問うような発言はなかった。

 

CMに入るギリギリの時に宮根氏が唐突に、「嫌疑不十分とは、どういうことなんですかね」と弁護士の西山氏に問いかけ、

「ほとんど無罪と同じような意味合いです」と答えてもらったところで締めくくられた。

 

逮捕、不起訴の経過で放送されていたような、疑いを裏付けているかのような姿勢ではなく、中立な立場での内容に良い意味での変化を感じた。

 

 

 

 

全ての報道ではないが、いろいろな番組を見比べることで、テレビというもの、世の中の空気を理解する助けとなる。

 

ただ時間がかかるので、そうできることでもない。

 

だけど、こういった違いがある、ということだけでも踏まえて、テレビなどメディアのニュースを受け取ることは、

報道に振り回されず、そこから自分で考えるという大事なことに繋がるように思う。

 

 

ASKAさんはこういった報道を、どう受け取ったのだろう。

ASKAさんのテレビ出演。※ 再追記あり。

今日、2月15日。

いよいよ、ASKAさんがテレビで「FUKUOKA」を歌う。

 

生放送、フルサイズで。

こちらまで、ドキドキしてくる。

 

どうか上手くいきますように、

と祈る気持ちと同時に、

今のASKAさんが全身全霊を込めて歌う

「FUKUOKA」

聴きたくて、聴きたくてたまらない。

 

インタビューに次いで歌、

さらに16日には、

当日のメイキングまで放送されるという。

 

観たい。観たい。観たいぃぃぃぃ!!

 

ASKAさんが出演する「ももち浜ストア」を放送するテレビ西日本はYouTube公式チャンネルを持っているので、

少し遅れたとしてもオフィシャルで配信してくれることを、願うしかない。

テレビ西日本さん、どうか、どうか、よろしくお願いします。

 

ASKAさんの出演時間には、

ありったけの想いを福岡に飛ばし、

心の耳を思いっきりすまして、

感じとるしかない。

 

とりあえず、番組公式サイトを眺めてみる。

ASKA氏の番組出演に関するお知らせ|お知らせ|TNC テレビ西日本

 

ASKAさんがブログに綴っているように、

今のASKAさんを知ってもらうための出演であって、

即スムーズに再活動へ、

とはならないかもしれない。

 

慎重、かつ大胆に。

それでも、また1歩、歩みを進める。

 

ASKAさんの故郷、

福岡から。

それだけで十分。

 

 

※ 追記  もうすぐASKAさんの出番。

福岡に感謝、お父様、お母様、応援している皆様全員に感謝。

 

気になっていたピアノ伴奏は、

ASKAさんのコーラスもしている一木弘行さんのお弟子さん、藤山祥太さんだそう。

出演者、スタッフ含め、この方の緊張も凄いかもな。

 

今日2月15日(水) 夕方 6時半~TNCに、ASKAさんが出演なさって「FUKUOKA」を歌われるのですが…そのピアノ伴奏をつとめさせていただきますm(__)m 初テレビ出演が、生放送で演奏とかどんだけ~って感じですが···精一杯がんばってきます笑笑

                                  藤山祥太さんのツイッターより

 

※ 追記 2  放送後。

福岡の皆様、

どうもありがとうございました。

 

パソコン、スマホ、iPad全て駆使して、

ツイッターやブログコメント欄にあげられる情報や感想を見ることができたおかげで、

ジリジリし過ぎることなく、

リアルタイムで、

ASKAさんの放送を追っていけたことに、

ただただ感謝。

 

また誤解が生まれるかもしれないこと、

向かい風が強くなるかもしれないこと、

そういった自分にとってマイナスになる可能性からも逃げずに、

自分の言葉で今の自分の心境を、

真摯に語った。

 

バカ正直過ぎて、

逆に信じられない人もいるかもしれない。

 

でも、それがASKAさんなんだと思う。

 

そこにある水たまりをよけて通る道を探すのではなく、

例え失敗しても、

何度でも飛び越えようとする。

 

向かい風を思いっきり浴びて、

髪が乱れ、苦痛で顔が歪んだとしても、

真っ直ぐ、自分の信じた道を行く。

 

そんなASKAさんを観て、

公の場に出るまでのこれまでの歩みを見守ってきた一人として、

感、極まるものがあった。

 

そして福岡で歌う「FUKUOKA」。

 

この歌を平常心で聴く日はあるのだろうか。

 

何度聴いても、必死に堪えても、

ギターが優しく、本当に優しく寄り添うように始まり、

「今は昔、昔は今」の歌声が重なると、

たまらなく感情が溢れてきてしまう。

ASKAさんの今日の歌声にも、同じような感情の波を感じて、

一層胸がいっぱいになった。

 

「こんにちは。さようなら。おはよう。おやすみなさい。繰り返しながら僕はここに居る。」

 

ASKAさんのその心を大切に。

 

 

※ 追記 3  メイキング、放送後のインタビュー。

本番の時より自然な表情、仕草で、

冷静、客観的に、淡々と相当辛かったであろう経緯を語るASKAさん。

 

その姿を見て、

ASKAさんは少なくとも今の段階では、

「覚せい剤使用」の過去(罪)を認め、

受け止め、乗り越えたんだなぁ、

という印象を受けた。

 

削除された『700番』(第一巻)と、ASKAさんのブログを読んでいる人には、

ASKAさんの話している内容や、今の心境はよく伝わっただろう。

 

ただ2014年、2016年の逮捕時に流れた、

ほとんど間違っていた報道内容しか知らない世間にとっては、

すぐには「あぁ、そうだったんだ。なるほどね。」

とはいかないだろうとも思った。

 

肝心な鍵である、"盗聴盗撮被害” が、

どうもタブーとされていた感じも、

もやもやを残す原因の一つ。

 

今後の『700番 二巻·三巻』、

アルバム『Too many people』

の反響も含め、

少しずつ、少しずつ、分かってもらうしかない。

「本来やるべきこと(音楽の枠内に入っていること)に向かって、コツコツとやっていく。」

「黙っていると黙っているだけにしか(人には)映らない。歩けば歩いている姿を見てくれるだろう。」

「自分が動かなければ何も始まらない。」

 

こういったASKAさんの一貫した言葉に、

もうとっくに腹を括っている、

ASKAさんの覚悟の強さを感じた。

 

※追記4 ASKAさんのブログでの報告

2月16日

「もし、あなたが10に行きたいのなら、11を目指しなさい。」

「Go to Eleven!」

「物事は、等身大では届かない。更に上を狙って、やっと届くものだ。」

自分以上の自分を見せる。

きっと、僕は11を目指した日だったのでしょう。

等身大。 - aska_burnishstone’s diary

 

「GUYS」(1992年)MVで印象的だった言葉。

そしてこの言葉を、感謝の気持ちと共にブログで綴れるASKAさんを前に、どんな意見も感想も必要ない。

ASKAさんは冷静と情熱を併せ持つ、大きな器の持ち主だ。

 

 

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いつも読んで頂いて、ありがとうございます。

 

ASKAさん、切ないですね。

まだまだ苦悩を背負っている。

 

昨日(2月12日)のASKAさんのブログを読んで、複雑な気持ちになった。

 

ブログを始めてから、半年が過ぎました. - aska_burnishstone’s diary

 

 ASKAさんが盗聴·盗撮などに苦しんでいたことは、『700番』(第一巻)を読んで以来気にかかっていたことではあったけど、実際に自分が体験していることではないので、本当に理解していたとは決して言えない。

ただ、そういうことは大なり小なり十分あり得ることだと思うし、頭から妄想だと決めつけることには疑問を感じた。

 

実際の被害に加えて、

 

誰からも理解されない苦しみ。

 

辛いよね。

 

もちろん病気の症状の一つとして、盗聴盗撮などの妄想を抱くこともある。

 

周りの人に出来ることは、理解しようとすることと、可能なら客観的に事態を分析し、一緒に対処法を考えていくことだと思う。

 

簡単なことではないけれど。

 

 

 

ASKAさんがブログを始めてしばらくした頃には、

また、盗聴集団の嫌がらせは、一切なくなりました。

 

今現在は、すっかり無くなっております。ここで発信をすること、逆に手を差し延べることで、それらが無くなったのだと思っております。みなさん、ご心配をおかけしました。ここは複雑なパスワードでログインを行っておりますので、このブログが削除されることはないでしょう。

                                8月1日「アクセスログ」

 

という報告もあり、

よかったぁ、とすっかり安心してしまっていたところがあった。

 

9月に入ってからも、月一回の通院時に、 

「盗聴はどうですか?続いてますか?」

「ブログで、犯人に盗聴を止めることを投げかけた二日後から、パソコンへの不正アクセスはゼロになりました。」

「それは、良かったですねぇ。(盗聴は)長かったですからね。」

「はい。以前は1秒間に40個から60個の不正アクセスがありましたが、現在はひとつもありません。犯人たちが手を引きました。」

「ブログをやって良かったですねぇ。」

                    9月6日 「有意義だったとは?」

 

というお医者様との会話があったことも明かしてくれていた。

 

その安心が過信だったことに気付いたのは、11月28日に「ASKAさん逮捕へ」という速報が流れた時だった。

 

ASKAさん自ら警察に通報したというその日は、

いよいよ、Mixの最終日です。

 という心踊るタイトルで、

Mix最終日ということでレコード会社の社長さんも駆けつけてくれること、

ISRCコードを記録次第、マスタリングをしに福岡へ飛ぶことなど、

嬉しい報告を楽しく綴り、

 最後2行では、

皆さんに、早く聴いてもらい。

いまは、ただ、そそれだけです。

  11月25日「いよいよ、Mixの最終日です。」

 

と興奮気味?に喜びを伝えてくれていたのだ。

 

アルバムリリースが具体的に見える段階に入っているという、嬉しいお知らせを私たちに届けてくれているその日、

その数時間後には警察に連絡するほど、ASKAさんはアカウント乗っ取りに悩まされていた。

 

自分の考えが及ばなかったこと、

ASKAさんの苦しみを全然分かっていなかったことに、

 

ショックを受けた。

 

何も力になることのできない無力感に苛まれた。

 

そして、こういった被害が不起訴·釈放後も続いているらしいことは、2月1日の「バイキング」での坂上忍さんの発言からも察することができた。

 

何かいい解決法はないだろうか。

 

 

ASKAさんのブログが始まってからまだたったの半年なんだなぁ、

とついこの間思ったばかりだった。

あまりに密度の濃い日々で 、自分の感覚の6ヵ月より長い時が流れたようにも感じた。

ブログを通してたくさんの変化もあった。

 

ブログを毎日のように読むこと、

ID登録をすること、

コメントを残すこと、

他の人のコメントをこれ程たくさん読むこと、

自分のブログで思ったことを綴ること、

他のファンの方々と言葉を交わすこと、

 

すべて初めてのことだった。

 

今までは、

把握しきれていない危険があることが分かっていたから、ネット上に "自分”を残すことに少し抵抗があった。

 

だからIDをとらずにコメントを残す人の気持ちや事情があることも分かったし、大切なのはコメントの内容であって、IDの有無ではないと思っていた。

ASKAさんがコメント欄を全開放していた意味も、できるだけたくさんの想いや意見を受け取りたいという意志があったからではないか。

そのために、時々中傷が含まれるコメントがあったとしても仕方のないこととして。

 

ただ11月の逮捕以降、コメント欄は大きく変わり、不起訴後も逮捕前とは違った雰囲気になったと感じていた。

 

ブログ開始当初から、ASKAさんに対する批判や厳しい意見も含め、すべての想いを受け止めてきた ASKAさんにとっては、

IDのない人全員を排除するようなことは、したくなかっただろうと思う。

事態が深刻になってやむを得ず、今回の選択となったのだろう。

 

このことが、不正ログインやアカウント乗っ取りの直接の解決にはならないかもしれない。

 

だけどまずはブログのコメント欄を読む、1日何万、何十万人もの人たちの気持ちを考えたのだろう。

 

ASKAさんが今でもブログとブログを読んでいる皆のことを、とても大切に考えていることが伝わってきた。

 

私にとってもASKAさんのブログは、大切な奇跡の場。

いつまでも続けて欲しい。

 

ただ、そういった想いに応えようとすることで、ASKAさんの負担が増え、精神のバランスを崩したり、音楽活動に影響がでることが心配でもある。

 

自分は強いから大丈夫。

負けない。

 

そういった堂々とした姿勢は、頼もしく思うのだけど、

 

変わってもいいんだ。

 

ということも考えていてほしい。

 

もしいつかASKAさんがブログを止める日が来たとしても、

 

大丈夫だから。

 

本当は違ったとしても、

ASKAさんの一番良いと思う道を選びやすいように、

 

自分の気持ちの問題は、自分の中で解決しないといけないんだよ、と

 

自分に語りかけている。

 

どんなことがあっても、応援する気持ちは変わらない。

 

 

ASKAさんのブログが始まってから、

たくさんの得られたものを思い出し、

 

泣きそうなくらいの

 

切なさを感じながらも、

 

今回は、

抱えている問題の一部でも、

皆に打ち明けてもらえたようで、

 

一人で抱え込まないでいてくれたことが、

 

嬉しくて。

 

 

 

大丈夫。

 

 

一緒に考えていこう。

 

 

 

『Too many people』を聴く準備は万全 !?

ASKAさんの『Too many people』の発売日(2月22日)が迫ってきて、ウキウキそわそわする日々だ。

 

予約は早々にしていたけど、

もうすぐ聴けるんだ、という実感と共に、

 

そう言えば !

 

と現実的になって色々と具体的な準備をした。

 

音楽を聴くツールが時代と共に変わり、自分の生活も歳と共に変化し、最近めっきりCDで音楽を聴くことが減っている。

家で一人、自由なことをできる時間も、圧倒的に少なくなっている。

 

一人で車の運転をする時は、CDを大音量に、思いっきり歌ったりもしているけど、じっくり聴き込むといった環境ではない。

 

スピーカー、ヘッドフォンがいくら良質のものが手に入ったとしても、一人思う存分音楽に浸ることは、今や私にとって貴重かつ贅沢なことになっていた。

 

しかも、良質だったはずのヘッドフォンの調子が急に悪くなり、先日はYouTubeで聴くASKAさんの「X1」が、コーラス部分のみ聴こえてくるという現象に見舞われた。

 

既に何回も聴いていたから、ひと味違った聴き方ができたことを嬉しいとすら思えたのだけど、

さぁ、今から聴くぞ、

と初めてアルバムを聴く時に、もし同じようなことが起きたら冷や汗ものだろう。

 

最初に聴く時は、

スピーカーか、ヘッドフォンか、

今もまだ決められていないのだけど、

 

どちらにしても、やっぱり真夜中になるんだろうなぁ、

家族の数も多め(5人 プラス 2匹)、人の出入りも激しい(家族それぞれの友人、知人、友人の友人など)来るもの拒まずの我が家で、一人になれる確実な時間帯。

 

一刻も早く聴きたいのに、もしかしたら発売日に聴けないかもしれない…、

と現実を前に焦る気持ちも多少はあるけど、ここまで待っていたのだから、あと数日待つぐらいなんでもない、と今から自分に言い聞かせて、心の準備をしている。

 

思いっきり堪能できる環境と、自分の心身が整うまで、辛抱できる…、はず。

 

もうそこまで辿りついている、

 

このワクワク感もいいもんだ。

 

アルバムが手元にあること、

に心が馴染んできたら、

持ち歩いていつでも聴けるようにもしたい。

 

そこまで想像した時に、

パソコンのディスク出し入れ部分が故障していたことに気がついた。

 

これは、かなりまずい。

 

ASKAさんによると、ネット配信は数ヶ月先というし、

 

いろんな場面でCDを聴くためには

スマホに取り込むためのパソコン環境も整えなくてはならない。

 

ということでやや慌てて、CD·DVDドライブを購入した。

 

さらに音楽を聴いていても差し支えのない作業中に聴けるように、スポーツしながらでも聴ける遮音性の高い、防水タイプの Bluetooth イヤホンも購入。

 

『Too many people』を聴きながらの作業はまったく集中できないだろうし、スポーツもする予定はないけど、

 

念のため。

 

あとは自分の体調管理、今のうちに睡眠をできるだけとって、

夜中の読書と音楽鑑賞に備えるだけだ。

 

2月に入ってから、仕事がオフシーズンで暇になったのを幸いに、作れる自由な時間は "ASKA” 一色で、眠る時間がどんどん減ってきてはいるのだけど。

 

さぁ、これで準備は万全か??

 

皆さんはどうやって『Too many people』を聴くのでしょうね…。

 

 
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ASKAさんがブログを始めたおかげで、アルバム制作の様子も窺い知ることができた。

その発売直前の、どんな言葉も適当と思えない自分の感情の高ぶり具合に、嬉しい戸惑いを感じている。

 

そして、ブログに残されるコメントから想像する、たくさんの人々の想い。

 

かつて、

こんなにも多くの顔も知らない人々と、

こんなにも振り幅の大きい感情を共有してきたことがあっただろうか。

悲しみ、喜び、不安、期待、心配、安心 …、…。

 

様々に違う想いも抱きながらも、ASKAさんを、ASKAさんの音楽を愛する気持ちを共通に、

この日を待っていた。

 

 

最近、

朝は、「X1」

車の中では、

「もうすぐだ」「Sea of Gray」「On Your Mark」などが特に今の気持ちにしっくりくるので、

アルバム『CODE NAME.2 SISTER MOON』

 

家では、アルバム『kicks』

 

お休む前は「FUKUOKA」

 

をよく聴いている。

 

今までは、その時の気分に合わせて選曲したり、アルバムを選んだりと、あまり世間の流行りや評価を気にしたことはなかった。

 

だけどもうすぐ、

全国で皆一斉に、それぞれの場所で、それぞれの聴き方で、それぞれの想いで、

『Too many people』を聴くんだなぁ、

 

そう想うだけで、

 

幸せな気分になる。

一人のミュージシャンの一枚のアルバムを聴く時に、一緒に創ってきた、そして待っていたたくさんの人々を想う、

私にとっては初めての感覚だ。

 

 

 

その時、

 

どんな感情が自分の中に生まれようと、

 

大切に受け止めよう。

 

 

 

大きな感謝と共に、

 

確かに来る

 

その時を、

 

待っている。

 

「SPA!」ASKAさんの記事。

「SPA!」を読んだ。

1月3·10日号と、2月14·21日号。

 

本の出版社と同じ扶桑社の雑誌だから、いわゆる宣伝活動の一環なのだろうとは思う。

そうは言っても、久しぶりに雑誌という媒体でASKAさんの本当の言葉が掲載されている、そのことが嬉しくないわけがない。

『700番 第二巻·第三巻』の発売前に、ブログ以外でASKAさんは何を伝えたいのだろう、と興味が湧いた。

 

今までは、ASKAさんの事が掲載されている週刊誌といえば、"関係者” や "知人” がやたらと登場してきて、結局憶測なんですね…、といった内容のものが多かったので、「SPA!」に関しても一瞬構えてしまうところはあった。

 

芸能ゴシップ記事には興味はなくても、その他、特集記事、コラム、連載小説が読みたくて時々雑誌は読んできた。

だが、「SPA!」は正直初めて購入するのでは? というほど縁の薄い雑誌だった。

これまでブログで訂正などを伝えないところを考えると、記事の内容はASKAさんも納得のいくものだったのだ、と判断し、読むことにしたのだ。

 

 

ASKAさんのブログだけでは物足りず、

活動再開直前の気持ちの高ぶりは、

読みたい、聴きたい、

想いをどんどん強くしていく。

 

待望

 

こういうことなのだ、と実感している。

 

 

「SPA!」1月分は、

ASKAさんの釈放直後のインタビューだ。井上公造氏の未発表楽曲無断公開やタクシー映像流出の件をはじめ、行き過ぎたメディア報道を取り上げている他、

ASKAさんの言葉と共に、

「こんなタイミングで再犯して大事な人たちを裏切るわけがないんですよ」と、'14年に逮捕・起訴された後も支え続けてくれた仲間たちを気遣う様子も見られた。

との記述が嬉しかった。

 

そして、私としては引っかかっていたことの一つであった、

「どうして(アカウントを書き換えられたとはいえ)警察に電話をかけたのだろう。」という疑問にも、

同様のことは何十回もありましたが、今回は1週間に二度も書き換えられたので、僕も気持ちに余裕を持てなかったんでしょうね。警察に「サイバー課を紹介してくれ」と電話しました。この電話にはもう一つの意味があって、僕を盗聴している連中に「警察に電話しているからな」という警告と、自己防衛の目的があった。

 というASKAさんの説明に、

「そうだったのか。」と納得する思いだった。

盗聴や盗撮に詳しいわけではないが、

こういった説明を公に行うことは、被害にあっている側にとっては、決して悪いことではないように思う。

少なくとも、ASKAさんが苦しんでいた、苦しんでいるかもしれないと、周りの人も気付ける。

一人で抱え込んでしまうことは、一番良くない。

 

「SPA!」2月分では、

メディアの憶測記事による間違った情報が、事実として人々に認識されるのを少しでも食い止めたい、というASKAさんの強い想いが伝わってきた。

 

これに関しては、情報を受け取る側も、メディアに思考を操られないよう、常に意識しなくてはいけないと思う。

はっきり分からない、という認識や、よく知らない、という自覚の上で、情報を読み解く力をつけることで、先入観や偏見を持つことも減るのだから。

 

再逮捕の時の報道は、呆れるものばかりだったが、この号でASKAさんが言及している、

ドラッグの経験を尋ねられて「20年前に一度だけ、ロンドンでエクスタシーというものをドラッグとは知らずに飲んだことがあります。」と答えました。しかし翌日「20年前からドラッグをやっていた」と発表されました。

 という例のように、

こういった警察広報のメディアへの間違った発表、放置された情報は、今でも人々の意識に残ったままだ、ということも思い知らされた。

 

『700番』(一巻)では、詳しく書かれているが、一般の人で読んでいる人は実際どれくらいいるのだろう。

そしてそれを真実として認識し直した数は?

本来なら責任のある発言をしなければならないテレビのコメンテーターでさえ、「長い間常習していたため、かなり重度な依存者」といった前提で話しており、番組MC始め、誰もそのことを否定する人はいなかった現実。

 

どれだけASKAさんが、赤裸々に真実を語ろうと、信じたい方に人は信じる。

ASKAさんはそれが分かっていても、一人でも多くの人がASKAさんの真実を理解することを願い、諦めない。

音楽をより多くの人に聴いてもらうために。

 

音楽を聴けて、音楽にまつわる話を聞ければ、それで十分と、事件の後も思っていたところがあったけど、

ここまできたら、とことんASKAさんから発信される全てに耳をすまし、目をこらして、"人間ASKA” もできる限り理解したい。

ASKAさんの音楽を聴くために。

 

 

ASKAさんの『700番 第二巻·第三巻』と同じ出版社とはいえ、"週刊誌”というメディアに、ASKAさんの立場にたった記事が載ることには感慨を覚える。

元の思惑ではなかったとしても、そういった意味でも、本の出版は必要なことだったと思う。

 

歌を歌い続けるために。

 

加えて、

2月9日のASKAさんのブログでは、

 

3月4日発売の音楽月刊誌「音楽と人」4月号

(音楽と人社)に、アルバム『Too many people』に関する記事が掲載されるとのお知らせ。

音楽誌の取材。 - aska_burnishstone’s diary

 

アルバム『Too many people』のことだけを語ってほしい、というライターさんに対し、事件から語らなければ不自然だと、敢えて事件も含めて語ることを選ばれたASKAさん。

 

せっかく待望の "音楽だけ” の取材なのに、どうして? という想いも一瞬よぎったが、

「皆さんとの絆の中で、あったことを直接私の口から伝えることこそが絆だと感じました。」

  、

「私は皆さんの前で、優しさに甘え、何もなかったかのような顔でパフォーマンスをすることはできません。」

という『700番』(第一巻)冒頭のASKAさんの言葉を思い出し、

 

不器用であっても、誠実なASKAさんの姿勢なのだ、と再確認し、

そういうところにまた惚れた。

 

ASKAさんのブログアップに間髪をいれずに、雑誌、アルバム発売のお知らせと共に、

『Too many people』は心に染みます。

とツイートされた、

「音楽と人」のライターさんの温かい心も感じられ、

 

徐々にではあるが、

 

ASKAさんの周囲を取り巻く空気が変わってきているのが分かる。

 

 

 

こんな日が来るなんて、

 

未来が語れるなんて、

 

 嬉しい、

 

 

 

本当に 嬉しいね。

 

言葉を大切に、心は柔らかに。

小さい頃から、本を読むことが好きだった。
本に限らず、新聞、雑誌、商品の説明文まで、気付いたら目は言葉を探している。


情報を自分のリズムで理解できたり、情景を自分の想像で思い浮かべることができる自由さが、好きなんだと思う。

どれだけ時間をかけて読もうが、一つの言葉から連想して全くかけ離れた世界へ飛ぼうが、自由。
そしてその自由は目立つことがない。


だけど、その自由さが好きな言葉も、コミュニケーションの手段として使われると、途端に取り扱いの難しいものとなる。

一つの言葉から膨らむ自由なイメージが、相手との間にズレや隙間を生じさせ、誤解や心の傷の原因となることがある。

どんなに慎重に言葉を選んでも避けられない、言葉を使ったコミュニケーションの限界。

言葉は自由だからこそ、発する側も受け取る側も柔軟な心でいることが必要なのだと思う。

その言葉に託された "気持ち” の方を理解するために。



ASKAさんはブログで、

『言葉は、ただの道具。 伝わらなくては、意味がない。』

ということを繰り返し綴った日があった。

http://aska-burnishstone.hatenablog.com/entry/2016/12/27/115022

この日の記事は意味深長で、しばらく考えこんでしまった。
そして今でも、言葉という道具をちゃんと使えているだろうか、という自問自答は繰り返している。

「伝わらなくては、ただの道具」だと。




最近のASKAさんのブログでも、
「宗教」や「主婦」、「アルバイト」、「アホ」などといった言葉が使われた時、そういった言葉自体に強く反応してしまった人にとっては、話全体の真意は伝わりにくくなってしまう、
ということに気付かされたことがあった。

言葉は本当に難しい。


でも、もし一つの言葉に対して、自分の気持ちがもやもやしてしまったとしたら、
その言葉が何故気になるのかをまず突き詰めて考えてみるといいと思う。

必ず理由は自分の中にある。

逆に自分がこういった言葉を使う場合は、
自分の人間性を相手に十分理解してもらっている、という信頼がないとなかなか難しいし、時に意図とは反対の意味に捉えられる可能性があることにも注意することが必要だ。

あまり人間性を理解されていない場、もしくはよく知らない人同志での場においては、
言葉自体に誤解されやすい要素がある時、まず自分がこういった意味でこの言葉を使いますよ、といったニュアンスを含ませることが大切なのではないだろうか。

少しでも言葉を気持ちに近づけるために。


そういうことまで考えるのは面倒、それなら何も言わないでおこう、
というズボラな思いから、

私は、
「沈黙は金なり」

(イギリスの思想家·歴史家のトーマス·カーライルの『衣装哲学』にある言葉 "Speech is silver, silence is golden.”から。よどみなく話せることも大事だが、黙るべきときを知ることは、もっと大事だということ。故事ことわざ辞典より)

という格言を拡大解釈して言い訳に使い、黙ってしまうこともある。

ただ、
状況を見極めて敢えて黙るということではなく、コミュニケーションを諦めて黙るというのは、とても淋しい選択だ。



表現者であるASKAさんは、
自分の感性に忠実で、言葉に臆することがないように思える。

歌の歌詞、散文詩、ブログ、本と様々な形で、言葉を使って表現し続けるASKAさん。

ASKAさんの豊かな表現に向き合うことで、日々新たな気付きがある。



見習ってとは、簡単にいかないが、


難しいからと諦めないで、

日々交わされる言葉一つ一つをもっと大切に、
柔らかい心で人の気持ちを理解したい、
自分の気持ちを伝えていきたい。

そして、

どうしようもなく、
言葉で傷ついたり、腹のたつ時は、

独り言で発散したり、
話題に直接関係のない友人に聞いてもらったりして、
感情の逃げ道も作ってあげる。


そう思いつつ、

まだまだ、

迷いも失敗も尽きない、

学びの途中。





大好きな言葉、

上手に使えるようになりたい。